え!?

先日、ネット上の句会で拙句が掲示されることがある、と書いたがあれからひと月も経たない内にまた一句、掲示された。

と思ったら、一日またいでまた一句揚げられた!

一体どうなっているのだろう。もしかしたら、いつの間にかワタシは俳句の大家になってしまったのか(まさか)?あるいは先生(主宰者)に贔屓されているのだろうか?

…などと思っても、先生に訊くワケにもいかない。

とにかく、そのような評価でありながら、最近はめっきり俳句ができない。何を見ても、発句さえほとんど出て来ないのだ。

旅にでも出れば何か刺激があるかと思って、三泊四日で京都に行ってきた。丁度源氏物語を読んでいるところでもあり、源氏ゆかりの寺などをいくつか巡った。にも拘らず、今のところ戦果はサッパリである。

それよりも京都駅界隈の開発にはなんだかゲンナリした。ホテルを探してウロウロするのが嫌なので大抵は駅から2〜3分のところにするのだが、いかんせん京都駅は東西に長い。まして停車口と反対側のホテルだったので、その反対側に出るために、一旦二階に上がったり下がったりしなければならず、結局は相当時間歩いた。体感としては15分以上も歩いた気がする。その日は雨だったこともあり観光はせず、軽く夕食を済ませた後、近くの映画館で「ゴールドボーイ」を見た。面白かった。岡田まさきは「ドライブマイカー」以来、買いの俳優になっている。

京都に行くのはもう4〜5回にもなると思うが、何度行ってももう充分とは思えない。今回は、西本願寺大徳寺慈照寺、清涼殿、廬山寺などを廻ったのだが、どの寺にも枯山水があったり仏像や阿弥陀様がおられて、大して変わらないなと思うのだが、それでも色んな歴史に興味を持つと、まだまだ見て廻りたいと思うのだ。

ただ、せっかく来たのだからとあまり欲張らないで、一泊かせいぜい二泊ぐらいで、場所を限った方がいいと思った。よく歩くのはいいのだが、些か歩き過ぎた感がある。こちらに戻ってから、丸二日は疲れが抜けなかった。

昨今は円安でなかなか海外旅行は出来ない。でも、国内もまだ行きたい所は色々ある。歩ける内に、出来るだけ色んな所に行ってみたいものだ。

 

いっぽう

バイオリンはやればやるほど難しくて、ちょっとへこたれ気味。

習い初めて一年目の年末に発表会があって友達が聴きたがったが、さすがに下手すぎるのであと3年ぐらい待ってと言ってからもう3年経ったが、まだまだ人に聞かせられるような音ではない。

途中まで教則本はスイスイ進んだのだが、コロナのせいで最初の2〜3ヶ月通うことができなくて我流で弾いていたせいか、弓の持ち方や動かし方などに変な癖がついてしまっていて、今はまだそれを直すのに必死だ。だから教則本も本来のものを休んで別の基本的なものをやっている。

一番難しいと思うのは、重音だ。弦と弦の間が狭いから、私のフニャフニャした指では一弦だけ押さえようと思っても隣の弦に指がかかってしまう。結構練習はしたつもりだが、一向に修正できない。

やっぱり バイオリンは子供の頃からやらないとうまくならないのかしら。大人になってからバイオリンを始めても上手くなるのは20人に一人とかいうのを聞いて、密かにその一人になってやろうじゃないのと思っていたのだが、この分だととてもなれないのではないかと思ったりして、初めて先生に弱音を吐いた。いつのまにかできるようになるわよ、と先生は仰ったが。

その後、先生の指先にクッキリと何本も弦の跡が火傷のように黒く残っているのを見て、何を 甘えとるんや自分、と心を入れ替えた。

…つもりだったのであるが、この年齢だとどうしても腰が痛い。立って30分ぐらいすると腰がバンバンに張ってくるので、次は座って腰の辺りに座布団を当てて練習するのだが、それも30分ぐらいで耐えられなくなる。

一旦ベッドに横になって、腰の下に小さな枕などを当てると、5分もすれば回復するのだが、その時毎回なぜか排尿したくなるのだなぁ。腎臓に石があるのと関係あるのかしら。

そんな風で、練習すれば必ず1mm は上手くなるのは分かっているのだが、思い通りには行かないものだ。とはいえ残された時間はそう長くはないのかも知れないから、できるだけ今のうちに練習しなければと思っている。

 

 

 

年を取ると

一週間があっという間に過ぎてゆく。一日単位だと時間を持て余してしまうこともあるのだが、何故か一週間は早い。テレビ番組などは、あれっ?ついこの間見たばかりなのに…と思うことがなんと多いことか。

ま、それはそれでありがたいこともある。見たばかりのドラマの続きが、またすぐ見れるのだ 笑。今、一番楽しみに見ているのは大河ドラマだが、それをきっかけに青空文庫で与謝野源氏を読みだしたら、やはり面白くて、当然のことながら改めて紫式部の才能に舌を巻いている。若い頃にも読んだ憶えはあるのだが、多分絵本のように物語を短くしたものだったように思う。その時も源氏の恋バナよりも頭中将が印象に残ったのだが、今回も頭中将の話がクローズアップされる2帖の「箒木」に、特に式部の才能を感じさせられた。

昔は紫式部男性説もあったと記憶しているが、最近はその説は見受けられないようだ。しかし、2帖を読むと男性説もさもあらんと思う。丁度前回の大河の最後の方で、式部が男達の結婚や女に対する本音を偶然耳にする場面があったが、そういうことだったのだろうか。

ちなみに、源氏物語の映像化では東山さん以外に誰が光源氏を演じていたのかと調べてみたら天海ゆうきというのがあって、ハ〜なるほどねと思った。平安時代のこととはいえ、当時の夜這いを現代に持ち込んだら、同意不明のセイカガイで、たちまち批判の対象になりそうだ。ちなみに、その映画での紫式部役は吉永さゆり(!)であった。ま、でもこれも、ある意味ナルホドなのかも知れない。

大河で吉高さんが式部を演じると知った時は姉が不満だらけで、私も表面上は同調していたのだが、吉高さんは朝ドラの村岡花子役をちゃんとこなしておられたので、案外ヨイのではないかとも思っていた。

フタを開けると、やはりそれなりの式部になってると思うのだが、姉は「声がひどい」とか「走り方がひどい」とか、まぁ言われてみるとそうなのだが、姉は私以上に批評家然としているので、何かと難癖をつけている。

道長については、道長イコール光源氏というわけでは必ずしもないので、タスクさんでも全然良いのではないかと思っている。

とにかく大河、源氏物語が今の楽しみ。

早いもので

ねっと句会への投稿を始めてから、もう5年が経ってしまった。

毎月5句の投稿を丸5年とすると、年60句×5年だから、もう300句も投稿してきたことになる。

季節ごとに会員の投稿により句集も出るが、全く新しい句を投じることもあるから、実際に人の目に触れている句は350ぐらいになるのかもしれない。人目にはとても触れさせられないひどい発句は、もっともっとある。

年相応に中性脂肪とか、やや高血圧などの症状はあるものの、これといった大きな病気はないのだが、ほぼ同年代の有名人などが次々に亡くなると、自分もそろそろかなぁと意識してくる。

そこで昨年までの拙句を集めて 私家版の句集としてみた。とはいえ、家族であっても自分の句を見せるのは恥かしいので、死後に見れるようにしておくツモリである。

句会は主宰者の寸評がもらえるのだが、その寸評が済むと参考句?として毎日一句、解説と共に掲示される。それは子規などの超有名な人や同句会の先達であったりするのだが、ここ二年ぐらいだろうか、なんと私の句が挙げられることがあるようになった。一昨日も掲示されたのだが、その度にギョッとしてしまう。

正直その場所は、ゆくゆくは…というひとつの目標ではあったのだが、こんなに早く実現しようとは夢にも思わなかった。

しかし、評価されるのは大抵、自分では「え? これですか?」 と思うようなものである。

だから俳句はわからない。掲句されると恐縮はしてもやはり嬉しくもあるのだが、一方でますます混乱してしまうのである。

ちなみに、句集の方に載せた、先日ちょっと触れた前夫への弔いのを句を幾つか挙げておく。

はなどきのうかれごころに死のしらせ

このほしにのこされひとりはるおしむ

ぽつかりとたましひぬかれすいちゅうか

しらゆりにすがたをかえて訪われけむ

(以上、原句はもちろん漢字入り)

実感もあるにはあるが、やはり綺麗事かな…。

 

 

 

 

数年前から

再びレム睡眠行動障害の薬を服用するようになり、確かに夜中の大声は滅多になくなって来たのだが、起きる寸前に見る夢というのが、何と言うか薬によってねじ曲げられているような感じで、悪夢とは言い切れないものの非常に気分が悪いものが多い。

昨日の朝もよくワケが分からないそんな夢を見ていたのだが、私に何かしら 危害を与えそうな人物は珍しく女性(見知らぬ人)だった。危害といっても暴力ではなく、騙そうとしているとかそんな感じ。周りにもなんだかわからないが不穏な感じのものが蠢いていて、もしかしたら私の部屋は変な霊に取り憑かれているのではないか、と思ったほどである。

いつもは部屋を真っ暗にして寝ているので、常夜灯でも灯してみれば大丈夫かと思って床に就いてみたが、やはりそれではなかなか眠れないので、結局はいつも通り真っ暗にして眠った。

地震の被災地のことを思えば、暖かい布団の中で寝れることだけでも幸せと思わねばならないのだが、そんなワケで寝ること自体が少し憂鬱な昨今だ。

しかし、その薬がなければ私は 避難所などで人と一緒に眠ることは出来ないため、まだ少し残薬はあったのだが、早めに受診して薬を貰ってきた。

薬ばかりではなく、今回の地震で初めてわが家にも地震(或いは山の噴火?)に対する危機意識が芽生えて来た。これまでにも一応、緊急避難用グッズの入ったリュックは購入してあったのだが、通り一遍のものしか入ってないので、色々補足しなくてはならない。具体的には、食器棚のガラス戸を開けないようにしたり、バケツに水を貯めたり、飲み水を買い置きしたり、トイレ用品に間に合いそうなものを買ったりしている。

日本の面積は世界の400分の1だが、日本周辺の地震の回数は世界の10分の1だそうである。少しでも備えておくに越したことはない。

 

心から幸せに

キンキといえば親子ほどの歳の差なのだが、だからこそそれまでの旧○ャニーズの人達の中でも、勝手に何かと気をもんできた。

特に昨今の旧○ャニーズ問題で、何度となく名前を挙げられていたツヨシ君を、大丈夫であろうかと陰ながら心配していた。

そこにこの度の朗報である。なぁんだ大丈夫じゃないのぉ〜!実にお似合いのお二人である。

…って、前にも思ったことがあるような。

もう何年も前になるが、確かある雑誌で、サトシとモモタさんの対談があった。それぞれのグループのリーダー同士ということで色々話していたのだが、その時、モモタさんという人に非常に好感を持った。良いではないか!サトシ、その人と結婚しちゃいなよ!とすら思ったものである。人をナナメに見てやまない私が、そこまで思うのは珍しい。

宮沢○えさんといいモモタさんといい、事務所の先輩に持っていかれっぱなしじゃないか。サトシ、一体何してんのよぉ?!

って、本当に一体何してるんでしょうね、あの方は?!

 

伊集院静さんが

亡くなられましたね。以前、ここにも記事を書いたように、伊集院さんは私が唯一 握手したことのある作家さんでした。

去年から今年にかけて亡くなった著名人の方たちは70歳前後の方が多く、皆さんそう長生きはしない生き方をしているように思われます。もっとも70歳といえば昔なら 大往生と言える年齢でしょうが。

ちなみに私の前夫も今年、65歳で亡くなったようです。母の命日である4月のとある日に、なんとなくスマホで彼の名前を検索してみると「訃報」とあったので、確認のためTwitter(現X)記事等を見ていくと 3月上旬に亡くなっていたことが分かりました。別れてもう40年近くになりますので、全くというほど悲しくはありませんでしたが、 呆然としてしまいました。お酒好きだったし、集中的に何かに取り組む人なのでそう長生きはしまいと思っていたので、ちょうど適した年齢に逝ったなぁという気もします。ここ数年 やたらと彼を思い出していたのも、ああそういうことだったのかと納得もしました。

その時は涙も何もありませんでしたが、数日後に彼の夢を見て 、また捨てられて、泣きながら目覚めました。「また」というのは以前にも一度そのような思いをしたことや、そんな夢を見たことがあったからです。

ずっと昔に別れてしまったので、お墓参りもままなりません。訃報を見て暫くは憑物が落ちたように彼への憎しみもなくなり、「ああ、こうして私も仏に近くなっていくのだな」と思ったものでしたが、日が経ってみると、またふと色んなことを思い出して怒りがこみ上げてきます。本当に執念深いですね。

仕方がないので俳句にして、綺麗事でまとめています(笑)。