「シリアの花嫁」

シリアのアサド政権による反政府勢力への武力弾圧や、政権側の民兵によるという虐殺で大勢の犠牲者が出ているが、2ヶ月ほど前に「シリアの花嫁」という映画を見ていた。日本での公開は3年程前だったようだが、作られたのは2004年。舞台はもっと前の、今のアサド政権が始まったばかりの頃(2000年とのこと)だ。

舞台は、元々はシリア領だったけれど戦争でイスラエルに占領された、とある村。イスラム少数派である村の人達は「無国籍者」とされている。ちなみに、シリアで宗教的に優勢なのはイスラムスンニ派(70%)で、驚いたことにアサド大統領は一割強の少数派であるアラウィ派だというが、この派は軍部の有力者を多く輩出し、実質的にコミュニティを支配してきたという。

村には古いしきたりがあり、ヒロインの家族はなんとか同調しながら生きているけれど、世代間や男女間の考え方には無論ギャップがある。長男は周囲の反対を押し切ってロシア人と結婚したため勘当されているが、妹の結婚式に参列するため久し振りに夫婦で故郷に帰って来た。ヒロインはビデオ映像交換という形で「見合い」したシリアにいる男性芸能人に嫁いで行くのだが、一度国境を越えればもう故郷に帰ることは許されない(結婚による越境だけが許されている)。めでたい結婚の日は、家族との永遠の別れの日でもあるのだ。それでも会ったこともない相手に嫁いで行くのは、封建的な村から逃れ、新しいシリアで暮らしたい気持ちが手伝ってのことなのだろう。

シリアに嫁ぐには国境を越える手続きが必要だが、ハンコ一つ押すだけの一見簡単な手続きも、些細な問題に拘って互いに譲歩しない両国の役人のお陰でなかなか果たされず、日がな一日花嫁と家族は翻弄される。それでも最終的には自分の意思で、ひとりで国境を越えて行く逞しいヒロインの姿が、微かな希望を象徴している、といった内容だ。

国境の問題だけではなく、国境周辺に住む人びとが様々な社会的障害の中で生きている諸相が大変興味深かったのだが、映画の中でも大統領となったばかりのアサド支持を表明する行進があったように、当時のアサドは体制内部の腐敗一掃とあらゆる分野での改革を訴え、人びとの共感を得ていたようだ。

それがたった十年余りで、どうしてこうも変わってしまったのだろう。アラブ諸国に吹き荒れた革命の影響で「殺られる前に殺れ」とばかりに躍起になって弾圧しているらしいが、元々は温厚な性格で、大統領になる気もさらさらなかったらしい。そんな人間でも自らの立場が危うくなると、なりふり構わず政権にしがみついてしまうところが恐ろしい。

この映画の中でヒロインが向かって行った「希望」は幻影でしかなかったけれど、いつかそれが幻影でなくなる日が来るのを祈らずにはいられない。