錦帯橋を


渡った広場で買ったちらし寿司を食べたり、河原で拾った小さな石を人に見立てて作られた置物を飾る店に入ったり、ボーッと満開の桜を見たりして過ごした。澄み渡った青空とまでは行かなかったが、雨模様との天気予報に反して両日ともポツリ程度で、傘を差したのはほんの一瞬だったのは幸いだった。

その後、広島に戻り原爆ドームと平和記念資料館に。

自分の国のことなのに、ほんの数年前まで参戦までの経緯すらよく知らなかった。勿論、敢えて知らされなかったこともあったに違いない。数十年という時を経ないと明らかにすることが出来なかった「敗戦国」としての遠慮のようなものもあったのだろう。最近になって漸く、広島や長崎への原爆投下は大虐殺以外の何ものでもないと声高に言う人達が出てきて、自分も、本当にそうだなぁと思うようになった。何を今更、と思われるであろうが、私はどちらかというと「日本は戦争に負けて良かった。負けた相手がアメリカで良かった」というような考え方をする家庭で育ち、小さい頃からアメリカンポップスのレコードを好んで掛けていた。そして、その他でもないアメリカが、広島や長崎の人達を虐殺していたという事実には、無意識に目を背けていたのだと思う。そのことに気づいてからは、戦勝国が敗戦国を裁いただけの東京裁判は不公平だという意見に同調してもいる。

一方で、戦争を押し進めた人達(いわゆるA級戦犯)が合祀されている靖国神社には、やはり参拝するべきではないと思った。韓国や中国の感情逆撫で云々ではなく、平和記念資料館を巡っていると、なぜもっと早く、一日でも早く戦争を終結させられなかったのだろうと改めて思うからである。

原爆ドームと平和記念資料館を訪問したことで、そんな風に先の戦争に対する自分の思いが明確になったようである。来る前は、なぜもっと早く広島に来れなかったのだろうとも思っていたけれど、やはりこのタイミングで来て良かったのだろうと思った。