お盆で

例年通り墓参り4カ所と、ここ数年寝たきり状態で療養型病院に入っている伯母の見舞いに行って来た。伯母は経鼻栄養でもう言葉も言えなくなっていたが、私たちのことは少し分かるのか 、声をかけるとわずかに頷いていた。

姉妹同士で話す時は、「私は口から食べられなくなったら、経管栄養なんかで延命措置しないでいいからね」などと言っているけど、自分はそれで良くても、 家族の立場だとなかなかそんな決心はつかないんだろうな。たとえ元気な時にそう言っているのを聞いていたとしても。伯母は、同室の三人の方達に比べるとしんどそうな表情をしていた。もうあの世に行きたいと思っているのか、それでも生きていたいと思っているのかは分からないけれど。

8月はいつも太平洋戦争を振り返る番組が色々あって、特に、実際に戦争に行った方達の証言を伺っていると、人間が本来持っているらしい残酷さに、正直こころが重くなってしまう。特に今年は、聞いただけでトラウマになりそうな酷い体験談ばかり聞いてしまった。話しているのは、90歳台のお年寄りである。ちょっとした辛い体験ですらいつまでも反芻して苦しいのに、そんなおぞましい体験を見たり自ら犯して70年も苦しめられるとは、一体どれほど地獄の人生なのだろう。式典などではよく「戦争で亡くなった人達の思いを無駄にしないように」頑張りますとかなんとか言うけれども、戦争で生き残った人達の思いをこそ忘れてはいけないのだろう。

若い人達の中には、日本がアメリカと戦争をしていたことすら知らない人が増えているという。近代史から教えることは急務としても、平和ボケがいけないとは思わない。私も、いつまでもあらしあらしで平和ボケしていたい。
でも、そのためには国がどういう選択をすればいいのかは、考えなくてはいけないな。