「さんど目のさつじん」

を見た。面白かったというか、よく出来た映画だなと思った。配役もぴったりだったみたい。ネタバレになるから、これ以上書かないけど。

予告編でまたニノの料理の映画とまっさんのならたーじゅをやっていた。もう一度見ても、やっぱりゲス教師にしか見えない…ていうか不倫を美化してるような気がする。ま、あくまで本編みないと分からないんだけど。

ワタシは不倫って、ベツに良いとも悪いとも思わない。今の日本の制度では悪いことになっているけど、本質的には仕方のないことなんだろうと思う。でも、それを美化したり、逆に必要以上に悪いことのように取り上げるのはどうかと思う。

特に、有能らしい国会議員が、不倫を理由に辞職させられるのなんておかしい。「家庭も守れない人が、国を守れるのか」なんて、アホらしいというか胡散臭い。そんなことを言っている人たちは、叩いてもどこからも埃が出ないのだろうか。有権者が議員に求めるのは、公約をきちんと推進させて行くことや、しかるべき法律を作っていくことだけだ。私生活なんてどうでもいい。一線を越えているかどうかなんて、下世話にもほどがある。

ならたーじゅの話に戻ると、原作者は映画を見て絶賛しているし行定監督も自信たっぷりのようだから、そう陳腐な話にはなっていないのだろう。でも、そういえばワタシ、行定映画ってセカチューもまだ見てないんだった…。

日野てるまささんの

中学生ドラマー引っ叩き事件についてのメディアの反応は、平日の昼間はテレビ見れないので今週のサンデージャポンで初めて見たんだけど、驚いたことに太田光だけが否定的だった。私は最初、その「事件」の様子はヨウツベの小さい画面で見ただけだったので、画像も音も不鮮明でよく分からなかった。その時点では、日野さんは自分が子供の頃にお父さんに引っ叩かれてトランペットを仕込まれて来たから別に悪いとは思っていないんだろうな、だから人前でも平気でできるんだろうなということぐらいだった。

でも、テレビで画面も音声もクリアなものを見たら、こりゃあちょっとヒドイなと。引っ叩いたことより、髪の毛を掴んで揺すった時のほうが暴力的に見えた。あれを見ても、西川先生すら非難しなかったことにオドロいた。私はほとんどの場合なぜか太田光と意見というか感覚が近いのだが、今回もそうだった。百歩譲って、まぁやってしまったことは仕方がないとしても、それが「文化」だとか、「何が起こるか分からない、それがジャズだ」とか、そういうことは言っちゃイケないんじゃないの。特別な才能があるからこそ自分の息子のように思ってやった、みたいなのもねぇ。じゃあ、他の子の立場はどうなるのよ。本当の親御さんの気持ちは?表向きは息子が悪いって言ってるけど、本音は分からないじゃない。丸く収めたいからそう言っているだけかも知れないよ。

私に初めてジャズの魅力を教えてくれた日野さんだからこそ、とても残念。高校2年の時、確か学校を早引けして家に帰り、テレビの前を通り過ぎようとした時に、当時注目を浴びていた日野さんのバンドの音がテレビから流れてきて、雷に打たれてように衝撃を受けた。そしてすぐにアルバイトを始めて、最初の給料で買ったのが日野さんの「HI-NOLOGY」というアルバムだった。暫くして、県庁所在地でのコンサートにも、確か友達と一緒に行った。日野さんがいたからこそマイルスにも出会うことができたのだと思う。

上京してからほどなく、銀座のジャズクラブでアルバイトをした時は、日野さんも出演していた店だったから親しくお話をしたこともあった。レコードを聴いたり雑誌の記事を読んだりしていた時はクールな人なのかなと思っていたけど、会ってみるとちょっとガッカリするくらい単純な(失礼)感じで憧れはなくなったが、その分、率直でいい人だな、ちょっと軽いけど、という感じだった。ライブでは、時には涙が出るほど感動できる真摯な演奏ぶりの時と、やたら恰好つけて饒舌なだけの時と、結構波があったように思う。今回も、その良くない波の日だったのだろうか。その子が生意気で、演奏の輪を乱すから思わず手が出たんなら、そう言えばいいじゃないの。文化だのなんだのってカッコつけるからいけないんだよ。

でもねぇ、それがジャズだとは言わないけど、ジャズの現場では結構あるみたい。いつか渋谷のジャズライブで、今は亡き本田タケヒロさんトリオを聴いていたら、ベースとドラムが合わなくて、殴り合い寸前になってたもんなぁ。その日じゃないけど、実際殴り合ったこともあったみたい。私はそのドラムが大嫌いで、本田さんはなんでこんなドラマーとやってるんだろうって思ってたんだけど。その後、別のバンドでそのベースの人とはずっと共演していたから、やっぱりドラムを外したんだなと思ったけどね。もっと早く外せなかったのかな、って。

自分の仕事でも、一度だけピアノと揉めたことがあるなぁ。歌伴って難しいと思うんだけど、わざと音をぶつけているとしか思えなかったから。でも、私は譜面がそんなに読めないから自分の感覚でしかなくて、説明しろといわれても出来ない。ただジャズって、例えば前奏が何小節なんて決まっていないから、4小節で出なきゃいけないこともあれば、半コーラス弾いちゃうピアノも居て、コードの流れを感じながらでしか入れない。ベテランの歌手でも、その感覚がない人だと妙なところから入ってしまっているところを見たこともある。そういうこともあって、自分の感覚は絶対的なのだよね、譲れない。そして、おそらく一人一人がそういう感覚を持っているから、譲れない×譲れないでケンカになっちゃうんだよなぁ。

「セキガハラ」を見に

行ったら、ニノの映画の予告編をやっていた。どうやら天才料理人というのはニノではなくて西島ひでとしさんのことらしく、ニノはその旧満州にいた料理の天才を探しに行く役のようだ。納得。もっとも、ニノも料理人には違いないのだが、予告を見る限りではうまく演じているようだし、時代背景も面白そうなので公開が楽しみだ。

ならたーじゅの予告もやっていた。有村さんは朝ドラでの役作りといい「セキガハラ」での演技といい、若いとは言えしっかり演じられる女優さんだと思うので、Jにも頑張っていて欲しいものだが、予告で見る限り、既婚者の重みというか生徒を愛する逡巡というものがあまり見えず、ただのゲス教師か?と思っただけだった。ま、本編を見てみないと分からないけれど。でも、この年であの手の映画を映画館で見るのはなぁ…。レンタルになるまで見ないのかも。

あっ!そういえば思い出したが「ならたーじゅ」は当県でも撮影しているらしく、先日エレベーターの中で正職員の20台半ばぐらいの女性が、エキストラに参加したと言っていたんだった!「ホントは松潤を見たかったんだけど、有村さんだった。細かった〜!」と言っていた。言ってる本人も細い人なので、よほどスリムなのだろう。そのまま耳ダンボで聞いていたら、別の課に○○さんというジャニヲタがいてどうのという話をしていた。やはり居るのか、こんなお堅い職場にもジャニヲタが…。ていうか、お堅いからこそ案外たくさんいるのかも?いずれにせよ、同僚がエキストラで出てるからという口実で見にいくのなら不自然じゃないな。ふふふ。

肝心の「セキガハラ」の方は、これも予告で見る限りは、岡田っちも最近ワンパターン演技なのでは?と若干危惧していたのだが、さにあらず。ジャニーズらしからぬ(?)堂々とした演じっぷりで、本職の俳優さんに負けないどころかリードしているといっても過言ではないほど十二分に役どころを理解して演じていたようだ。ていうか、見ているこちらが歴史音痴なもので、ほほぅそうだったか、あれ?この人ってどんな人だっけ??と、あとからネット検索で確認して回るという体たらくなのだが。どちらかというと、歴史に詳しい人向きの映画かも。

個人的には、義を貫いた石田三成より、歴史に翻弄された小早川秀秋のほうに興味が湧いた。東出くんが演じていたのだが、甲冑から出ているあの細すぎる脛を見たひにゃあ戦国時代にあり得ない…と思ったが、後半で右往左往して情けない姿を演じているのを見ると、その線の細さも効果的なのだろうと思った。あなそれの怪演もよかったけど、こういう役もお似合いだ。

この映画にも伊賀忍者が出るので、「しのびのくに」を先に見といてよかったなとも思った。あの映画は誇張して作られているとはいうものの、その時々の都合で寝返っていく忍者の感じがリンクしていて納得できた。ちなみに、「しのびのくに」は日に一回とはいうものの、まだ市内2か所とも上映している。ワタシも先日2回目を見たばかりなのだが、果たして興行収入は当初の見込みどおり30億に達するのか?興味深いところだ。できれば35億まで?

運動教室に

行き始めて1か月経ったので計測があった。それによると、ウエストが2㎝細くなったり、体脂肪が少し減ったり、その分筋力が少しついたりと結構良い結果が出ているようだが、実感はまだない。特に、ウエストより下の腹回りが目に見えて減らないことには。

体重だって、その時はたまたま先月よりも700グラムほど減っていたけれど、体重を毎晩毎朝測ってみると、日によってまちまちなので、まだ痩せ始めているとは言えない。でも意外なことに、充分な睡眠が取れた時は、寝て起きてトイレに行っただけで1キロも減っている。まぁ季節柄、発汗が多いせいかも知れないが、とにかく寝るだけで相当なカロリー消費になっていることが分かったので、これまでより多少早めに寝るようになった。睡眠時間自体は増えないのだけれど。

それと、例の大きな寝言の頻度を調べるために毎晩の録音を続けてきたのだけれど、その結果ものすごいことが分かってきた。それは先日たまたま見たテレビ番組で、自律神経を整えるためにということで、寝る前に腹式呼吸をやると良いと言っていたのでやってみたところ、その夜はまったく寝言がなかった。つまり深く眠ることができた。それで、もしや…と思い、しばらくそれを続けてみたら、まったく寝言が出ないか、出たとしてもムニャムニャ程度で以前のようなひどいものではなくなったのだ。そして、ある夜、自然に眠くなったのでそのまま(複式呼吸をせずに)寝てしまったら、その日はやっぱり以前のような大きな寝言が出た!

これは大発見ではないだろうか。大きな寝言がレビー小体型にんち症の前駆症状であるとすれば、もしかしたら進行を遅くできるのかもしれないし、いずれにしろ暴力的な寝言(それはまさに暴力的という表現がぴったりだ)が出なくなるだけでも大助かりだ。もう少し長く録音してみて、本当に複式呼吸の効果だとすれば、レビーの発見者である小阪先生あたりにお知らせしようかと思っている。もっとも、すでにそんなことは分かっておられるのかも知れないし、ネットなどでレビーに関する記事を読むと自律神経との関連は確かに出てきているのだが、だからどうせよといった記事は見たことがないので、役立つ情報ではないかと思っている。

さとし祭りだ!MusicDayだ!!

と思ったら、あろうことか前日にプッツンしてしまった我が家のテレビ。30日の夕方帰宅してその話を聞き、ヘナヘナとなってしまった。かろうじて音だけは聞こえるものの、画面は全然映らない。ホントになんていうタイミングだろうテレビの奴め。なにかワタシに恨みでもあるのだろうか。

いずれにしろ、もう10年も使っているから寿命だろうということで、1日はテレビの買い出しに。火曜日にならないと届かないというので、今日は矢も楯もたまらず、「忍びの国」参観に。

思った以上に面白かった。原作を知らないし、ちょっとハテナ?のところもあるのだけれど、単純に楽しめた。俳優さんたちが皆しっかり演じておられたし、知念ちゃんもよかった。予告編でちょっとわざとらしいと思ったさとしの演技も、映画の中でみると不自然さは特に感じなかった。予告編って、作るの難しいのかねぇ。正直、さとしファンじゃなかったら見なかったと思う。

ラスト、さとしが石原さとみのあんなところにあんなことを…。殿方の圧倒的な支持を受ける彼女だけに、さとしが恨みを買わないことを祈る…。

館内にはニノのコックさんの映画とMJの「ナラタージュ」のポスターも貼ってあった。ニノって食べることに興味がなさそうだから、コック役は違うんじゃないのと思ったけど、考えてみれば「拝啓、父上様」では板前役をちゃんとこなしてたんだし、やってくれるのかも(なにせ日本アカデミー賞男優)。「ナラタージュ」も、MJと有村さんって絶対ありえない組み合わせじゃんと思ってたけど、ポスターは悪くなかったみたい。

忍びの国」の入りは今日も上々だったから、またさとし主演の話はありそう。早くも次の作品に期待がかかるなぁ。

録画のあさイチ

を見た。もうすぐ映画の封切なので、色んな番組に出てくれていて嬉しい。

イノッチとさとし、似てるかなぁ?まぁ、じゃにーずにありがちな「どう?カッコいいだろ俺?!」的なものが希薄なところは共通してるかも。そしてイノッチはカレ役の頃から、さとしのことを「可愛いなぁ」と思っていてくれたのだなぁ。嬉しい。

事務所に入って4ヵ月ぐらいの頃は、あんなにダンスが下手だったのだねぇ、オドロキ。っていうか、今だから笑って見てられるけど、あんなヘタな子をテレビに出しちゃいかんのだよ。ま、今ドキのJr.には、あんなヒドイ子はいないんだろうな。でも、あそこまでヘタだったのに、よくもまぁここまで来てくれたよね。そんなところもニノと同じだな。「優しい時間」からどんどん遡って「天城越え」まで来たら、あ、やっぱりニノも初めから才能があったワケじゃなかったんだなと思ったもの。

番組で紹介したFaxやメールの紹介が、70代や80代の女性ばっかでちょっと可哀想だったさとし。その人たちの気持ちも、ワタシと同じなのだろうか。まさかホントにさとしがじぃさんじみているから、ではないことを祈る(笑)。なんだろ、やっぱり孫を見るような気持ちなのかな。そういえばワタシも、福くんとか芦田まなちゃんとか、めっちゃ可愛いと思ってたもんね。今はもう、あんなに大きくなってビックリだけど。

7月1日から映画が始まるけど、その日はMusic Dayじゃないの。映画見るのは翌日になるのかな。予告編を見る限り、過度の期待はできない気もしてるけど、やっぱり楽しみ〜。

あなそれと「愛してる」

あなそれの最終回はどうなるのかと思っていたらけっこう納得の行く結末だった。そのことをあれこれ書こうと思っていたら、対照的に、夫に「愛してる」と告げて亡くなる人もいて、なんだか色々考えさせられた。勿論あの若さで、しかも愛児二人を残して旅立つのはどんなにか辛いには違いないのだけれど、最後に夫に「愛してる」と言って死ねるとは、なんと幸せな人なのだろうとも思ってしまう。勿論その幸せは幸運なんかではなく、二人が日々こつこつと積み上げた結果なのだと思う。

あなたのことはそれほど」というタイトルを初めて見たとき、私がいつも覗いているブログ「愛していたけどそうでもない(実名挙げてすみません)」を連想した。なんというセンスのあるネーミングだろうかと。バツイチのワタシは「愛していたけど〜」のタイトルを見るたびにドキッとし、「そうか、自分は心の底から愛していたと思っていたけど、結局別れたということは、そうでもなかったということなのだろうなぁ…」と思う。「あなたのことはそれほど」にも似たようなニュアンスを感じながら、実際のドラマを見ると、「二番目に好きな人」と結婚したから夫のことは「それほど」好きじゃないという意味なのかと思っていたのだが、最終回でその夫から言われるのが、「あなたのことはそれほど」なのだと知り納得。

ドラマはドラマとして楽しんでいたつもりだが、いやが上にも自分の結婚生活と重なることも色々あった。離婚があまりにも苦しい経験だったので、長いあいだ自分は捨てられたような気分でいたけれど、最終的に別れを決断したのは自分の方だったということをつい最近思い出した。言葉こそ違え、私が最後に夫と話した時に口にしたことは「あなたのことはそれほど」と同義語だったのだろう。

人生の最期にどう言って死ねたらよいかということを若い時に誰かと話していて、私は「ああ面白かった!」と答えていた。いかにも自分のことしか考えていない自分らしい。ある時期まで、実際にそう言って死ねそう、とも思っていた。今はどうかな。言葉には出さないだろうが、誰かの役に立ったのかな自分は…とは考えるだろう。

いずれにしろ、誰かに「愛してる」と告げて旅立てる確率は、0ではないもののないに等しい。自分で選んだ道にしろ、少し寂しい…かも。