早いもので

ねっと句会への投稿を始めてから、もう5年が経ってしまった。

毎月5句の投稿を丸5年とすると、年60句×5年だから、もう300句も投稿してきたことになる。

季節ごとに会員の投稿により句集も出るが、全く新しい句を投じることもあるから、実際に人の目に触れている句は350ぐらいになるのかもしれない。人目にはとても触れさせられないひどい発句は、もっともっとある。

年相応に中性脂肪とか、やや高血圧などの症状はあるものの、これといった大きな病気はないのだが、ほぼ同年代の有名人などが次々に亡くなると、自分もそろそろかなぁと意識してくる。

そこで昨年までの拙句を集めて 私家版の句集としてみた。とはいえ、家族であっても自分の句を見せるのは恥かしいので、死後に見れるようにしておくツモリである。

句会は主宰者の寸評がもらえるのだが、その寸評が済むと参考句?として毎日一句、解説と共に掲示される。それは子規などの超有名な人や同句会の先達であったりするのだが、ここ二年ぐらいだろうか、なんと私の句が挙げられることがあるようになった。一昨日も掲示されたのだが、その度にギョッとしてしまう。

正直その場所は、ゆくゆくは…というひとつの目標ではあったのだが、こんなに早く実現しようとは夢にも思わなかった。

しかし、評価されるのは大抵、自分では「え? これですか?」 と思うようなものである。

だから俳句はわからない。掲句されると恐縮はしてもやはり嬉しくもあるのだが、一方でますます混乱してしまうのである。

ちなみに、句集の方に載せた、先日ちょっと触れた前夫への弔いのを句を幾つか挙げておく。

はなどきのうかれごころに死のしらせ

このほしにのこされひとりはるおしむ

ぽつかりとたましひぬかれすいちゅうか

しらゆりにすがたをかえて訪われけむ

(以上、原句はもちろん漢字入り)

実感もあるにはあるが、やはり綺麗事かな…。