はつこいの人が

亡くなった。新聞のおくやみ欄で見つけた時には、やはり小さな叫び声が出た。

初恋と言っても、小学校の時、中学から高校にかけて、高校で初めて付き合った人…と色々あるのだが、彼は中学から高校2年まで足掛け5年にわたって片思いをした相手であり、生涯一度だけラブレター(!)を書いた相手でもある。同級生だったのだが、この年齢で亡くなるとは急病か、あるいは・・・と一瞬妙な想像もしてしまった。教育者だったのだが、それだけにストレスも相当なものだろうと思えたからである。しかし、待て待て、彼に限ってどんなに仕事の重圧があろうとも、じさつなんか絶対にしない筈だと打ち消した。

通夜にしろ葬儀にしろ、県内と言ってもかなり離れたところで催されるので、列席するかどうかかなり迷った。何より、あまり実感が湧かなかった。その日、買い物に出掛け、車の中でたまたまマイガールを聴いたが、胸に迫るものがなかった。東北の震災後に聴いた時は、あんなに泣けて来たのに。

しかし翌日、寝ている間に彼が、思い出して欲しいと念でもかけたのだろうか、早朝に目が覚めた時、体中に溜まっていた何かが、思い出となって一気に放出された。中学の入学式の日、式を終えてクラスに戻り一人ずつ自己紹介するのだが、名前と出身校と得意なことを言うことになっていた。彼は、得意なことは「スポーツ」と言い、担任に「特に何?」と訊かれ、一瞬、間を置いた後に、「万能」と言い放ったのである。自慢するでもなく、単なる事実とでもいうようなそのドきっぱりとした口調が実に爽やかで、私は思わず振り返ってその人を確認し、一瞬で惚れたのだった。

それからずっと、高校二年の冬頃まで好きだったのだが、ある時から、そろそろ自分の気持ちにケリをつけたいなと思うようになった。その中には、他に気になる男子が出て来たということもあったのだと思うが、いずれにしろ手紙でも書いて告白しないと、前に進めないような気がしたのだ。もう子供じゃないんだから、いつまでも片思いなんて、という気持ちもあった。

彼が私のことなんか眼中にないのは明らかだった。リーダーシップがあってモテる人だったし、中学三年頃には付き合っているらしい人もいた。高校でも、二年の時はクラスメートの落ち着いた女子とカップル扱いされていた。彼女達は二人とも私などとは全く違って非常に落ち着いた感じのする人たちだったから、サスガにあの人の選ぶ女子は違うなぁと感心こそすれ、嫉妬の念などまるでなかった。ただ、自分は自分で温めて来た気持ちを伝えたかったのである。

私は昔から酷い悪筆だが、彼はとびきり達筆だったので、非常に緊張して最後まできちんと書こうと、何枚も書き直した憶えがある。ダイレクトに「好き」などとは言わず、ソコハカとなくその気持ちを滲ませて書いたつもりだった。しかし、投函した途端に大きな後悔の念が押し寄せ、彼の家の前で郵便配達を待ち伏せして取り戻そうかと思ったほどだったけれど、結局は諦めた。出してしまったものはしょうがない。取り返したら元の木阿弥、これまでと全く変わらない毎日ではないか。

二週間ほどだったか、なんの反応もなかったが、忘れかけた頃に電話があった。「俺も同じ気持ちだから」というようなことを言われたが、はぁ?嘘ついてるな、と思った。同じ気持ちなわけがない。付き合ってる人がいるでしょうが!と思い、オトコっていい加減だなぁと思ったけれど、言葉を濁して電話を切った。全く嬉しくなかった。これは、女からの申し出を男性側は拒否しない、一種の礼儀のようなものかとも思った。それに私は、手紙を出したことですっかり気持ちが吹っ切れていて、「さぁ〜、次行こう〜!」という感じで他の男子に心が向かっていたのだ。

高校を卒業して、彼も私も東京に出て行ったのだけれど、大学生となった彼から手紙を貰ったこともあった。大学の部活で苦しい時は、お前を思い出しながら頑張ってる、というような内容だった。困ったことになったな、と思い、返事を出さなかったように思う。それに、その時もらった手紙は、きっと、あの時に捨てた。

なんて心ない女だろうと、今更ながら自分が嫌になった。あの頃、田舎で同窓会があって、私が帰省していたにも拘わらず出席せずにいたら、夜中に酔って家の戸を叩き、なんで来ないんだと喚いて母親を呆れさせたこともあった。でも、彼としたら、あんな手紙をくれたくせに何故?という思いだったのだろう。

しかし、あれからもう40年も経っているのだ。そうした気持ちの行き違いは、多分来年辺りに開かれるであろう同窓会の時にでも会って、昔話として笑い合いたいと思ったりもしていた。その機会は永遠に失われたのだ。好きだった頃の純粋な気持ち、若かったとは言え身勝手で思い遣りのない自分の情けなさ…「ごめん」と心の中で謝りながら涙すると同時に、最後のお別れをどうしてもしなければ、という思いが込み上げてきた。