中学時代の英語の恩師に

お会いした。学校ではなく、私塾の先生だ。卒業後、何度か手紙のやり取りをしたこともあったけれど、ここ数十年は賀状だけになり、今年の賀状に、近くご実家のある遠い街の老人ホームに引っ越すとあったため、久し振りにお会いすることになったのだ。三十数年振りの再会であり、私が故郷に行くの自体、十数年振りだった。

お会いする前に盛んに「きっと、私が変わったのに驚くと思う」とか「孫に昔の写真を見せると『これ本当にお婆ちゃん?』と言われる」などと仰っていたが、三十年以上もお会いしていないのだから変わっていなければおかしい。でも、もしかしたらでっぷりと太ったりされたのかなと思っていたが、違っていた。確かに、年齢相応の外見的な変化だけではなく、私が先生に抱いていたイメージが大きく損なわれた。きっと偶然どこかでお会いしていたら、先生だとは分からなかったに違いない。

若い頃の先生は抜群に美しい方だったが、それは目鼻立ちだけではなく、溢れ出る気品や善良さのようなものに裏打ちされたものだったのだと思う。今も先生は年齢に比して外見的にも精神的にも若さを保っておられるが、どことなく、小意地の悪さと言ったら言い過ぎだろうが、人を射るような険しさが加わっていた。表面的には昔話に花を咲かせながらも、なにかしら自分の中で弾まないものがあった。かつては、この先生になら何でも話せ、解って頂けるものと思い込んでいたが、それは一方的な思い込みにしか過ぎなかったのだと思い知らされたようで、急な寂寥感に襲われた。お会いする前には、色んなことを手紙ででも打ち明けようかと思っていたが、しなくて良かったと思った。

自宅に戻ってから、中学時代の自分は先生にどんなイメージを植え付けていたか想像してみた。先生に憧れたお陰で英語の成績だけはいつも良かったから、シャープな印象を持たれていたかも知れない。休憩時間のお喋りがなかなか収まらず叱られたこともあったから、明るい印象でもあったかも知れない。もしかしたら先生の方でも、私に対して同じような思いでおられるのではないかと思い、ケータイで自分を何枚か写して見た。

それを見て、月日というのは本当に残酷なものだと思った。うん、きっと先生の方でもガッカリしておられたに違いない。そう思った。