小学校からの友人が

先日誕生日だったのでお祝いメールをしたのだが、その返信を読んで呆然とした。

彼女は昨年末に私の家に遊びに来ていて、そのとき、正月に小学校の同窓会があるという話は聞いていた。彼女は私以上に非社交的なヒトなので出席はしなかったのだが、出席した同級生から電話があり、喫茶店で会ったという。その時、その人がパソコンを持って来て、高校の同窓会のDVDや小学校の名簿なども見せてもらい、皆の変わり様にガクゼンとしたそうだが、それ以上に、物故者名簿をみてびっくりし、しばらく呆然としたと言う。そして、その人達の名前を書いてきてくれたのだが、それを見て私もまた呆然としてしまった。

A君は、私が去年、中学時代の初恋の人の勇気ある行動のエピソードを書いた時の、ハモニカで音楽教師に頭を叩かれた人である。
B君は、小児麻痺で、毎日お母さんが車椅子を押して来ていた人である。
C君は、小学校低学年で、初めて私に「好きです」というハガキをくれた人で、中学の時は一緒の英語塾に通った人である。
D君は、優しい優等生で、学級委員だったような気がする。
E君は、小学校の時は無口な乱暴者だったが、中学に入って急に勉学に励み出し、見違えるような優等生になったあの人に違いない。
F君は、不二屋のポコちゃんに似ていて、実際ポコというあだ名で、人望の篤い人だった。
G君は、大人しい八百屋の息子だった。この人は、小さい時に交通事故で亡くなっていた。
H君は、母が入院していた時に買いに行った花屋の息子だった。
Iさんは・・・名前は憶えているけれども、顔は思い出せない。
そして、J君は・・・

私の友人はJ君のことを、「わたしが一番覚えている、よくいじめられた J 君」と書いて来た。実際、彼女のことをよくいじっていたのを憶えているけど、きっと子供心に好きだったんだと思う。そして、学校の成績は悪かったけど、実はとても頭がよくて、ユーモアのあるヒトで、私の、久し振りに会ってみたい同窓生の三本の指に入る人物だった。

今でもはっきりと憶えているのは、国語の時間に「公園」という字を習った時に、先生に読み方を聞かれた彼が、「ハム園」と答えたこと。彼は肉屋の息子だったのである。勿論、先生も私も大爆笑。彼が「こうえん」と読むのを知っていたかどうかは不明だが、少なくとも「はむえん」でないことは分かっていた筈で、心なしか、答える前にちょっとニヤッとしていたような気も。

「本当に信じられません。いろんな事が頭をよぎります。本当に残念です。知らないうちに月日がたったんだなーって思います」と彼女は書いて来たが、本当に私も、月日が経ったこと、もうそういうトシなんだなということを改めて確認したのだった。

それにしても、J 君。亡くなってからもあんな楽しいエピソードと共に思い出してもらえるなんて。やっぱり人は、人に笑いを贈りながら生きるべきなんだね。
そして、会いたい人がいるなら今のうちに、とも思ったな。