最近、姉の体調が悪い

のです。真ん中の姉が狭心症と判明しステント挿入手術の予定だったのですが、入院予定日の早朝3時頃に激しいめまいとおう吐があり、立つこともできない。仕方なく救急車を呼び一泊後に退院となったのですが、搬送先が手術予定とは別の病院だったので、手術予定の病院で改めて手術の日を決めることに。ところが、これまで病院に付き添って来た長姉がインフルエンザになってしまい、今度はワタシが仕事を休んで次姉の付き添いを。タイミング悪く仕事が忙しい日だったのですが家族の健康には代えられまい、普段彼女らになにかと甘えながら暮らしている身、こんな時ぐらい支えなくてどうする、ということで。

しかし、この季節に熱発も伴う風邪症状での受診なら、一応インフルエンザを疑って検査するのかと思えば、姉の方から検査してほしいと言わなければ普通の風邪の診断だったとか。そんなことなら、実際にはインフルエンザでも普通の風邪扱いで帰された人が、そこいら中にインフルウィルスをばらまいているかも知れないのですね。蔓延するワケだ。

姉達ばかりではなく、なんか今年ってみんな幸先悪いのかなぁ。しょう君正月ドラマの不評といい、じゅん君の(よくよく読んでみると、ガセ臭プンプンの)スキャンダルといい。

アタシだって一応♀という分類になっておるので、正直♂の性癖なんてぇものは分かりません。仮に、仮にですよ、二股だったとしても、若い時なら許せなかったかもしれないけれど、このトシなので悪いとは言いきれないような気もするのですわ。ベツにじゅん君云々ということダケではなく。

村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると〜」でも、オトコの体の厄介さというものを改めて思い知らされました。フクザツな構造になっておるのですよね。なんか、可哀想になっちゃうくらい。本って、出会うべきタイミングで読むことになっているんだと思うんです。読み終わってから、なぜ今自分はこの物語を読むことになっていたのだろう、といつも思う。ずっと長い間読むのを休んでいたハルキを、しかもなぜこの作品から?タイトルを最初に見たときは、やれやれ…(なんだこれ…?)と思ったクセに。

カラオケに今の職場の同僚方に誘われて何度か行っているのですが、その中の一人から「離婚の原因はなんだったの?」と聞かれ、そう質問した方はとてもいい感じの人、一番気の合いそうな人だったにもかかわらず、思わず拒絶的な態度になり自分でもちょっと驚いたのですが。その方はきっと、もう30年も経っているのだから気楽に…でもないかも知れないけど、別にもう構わない程度に傷も癒えているだろうと思われたのでしょう。でも、きっと私が自分で真正面からその原因を見つめて来なかったから、完全に過去のものになっていなかったのですね。確かに、「原因はこれとこれです」と端的に言えるものではなく重層的なものなので、人には説明しがたい。その中には、往々に性的な問題というのもあるから余計に。

しかし、それらのことも一つ一つ、あれはこういうことだったんだ、自分もこういうことだったんだと整理していく内に、やはり別れたことは正解だったという結論に収束されては行くのです。一つ一つの決断も、間違ってはいなかったのだと。渦中に居る時はその時の気持ちだけで動いているから、年月が経って一番大切なものを失くしたことに気付くこともあるけど、ではその時に戻れたとしても、やはり同じ選択をするのだと思う。よく言われていることですが。

一つ一つの選択を重ねての今なのだから、人を恨んだり頑なになるのはもうやめようと思う。