ニンゲンの中身というか言葉なんて

そうそう変わらないものらしく、以前やっていた「にび色の日記」というブログを閉鎖してから、次にブログやる時は全く新しい視点で、あるいは語調で書こうと思っていたのに、全然できないんだなこれが。「魔王」が終わってしまったこともあって、気が抜けて何も書く気がしなくなっていたのもあるけれど。またボチボチ、以前通りやってみることにした。

この間(かん)、国立には行っていないし、アジアツアー参戦も諦めたので、時々買う雑誌以外にアラシゴトはほとんどなし。先週は宿題くんすら見逃した。嵐ファンとしてややトーンダウンしているのは事実で、なんだかフト我に返ったというか。いつまで若い男のコ達に入れあげてんだよ、という気持ちも出てきた。

とは言え、来週からいよいよニノのドラマが始まるわけで、やはり見ると思うのだけれど。予想していたこととはいえ一つの連ドラの主役が終わると雑誌等のメディアはテンデ取り上げないんだな、ということを実感して改めて驚く。雑誌を買うのがもう習慣のようになっていたので、勿論もう散財したくないという気持ちもあるものの、何も買わないということが淋しくてしょうがない。ニノの記事って大野君のついでに読むととても面白いんだけど、メインでそれを読むために買おうという気にはやっぱりなれないんだよね。演技ではニノ派(?)とは言え、やっぱりどこまでも大野ファンであることを実感。

嵐熱が少し冷めてどうなるかというと、やはりジャズに帰ってくるんだな。久し振りにM氏の新譜を入手したり、以前よく聞いていたCDを聴き直したり。ま、それもきっと、嵐の新しいCDかDVDが出るまでの間かも知れないとは思うけれど。

M氏の新譜はピアノソロだったんだけれど、聴きながら、ニノが今回のドラマ、というか演技についてどこかの雑誌で言っていたことを思い出した。演技(というかその人の人間性?)は、相手との関係性の中で生じるものだから、予め役柄を一人で掘り下げ過ぎない、というようなこと。これは音楽にも通じることのようだなぁと。M氏に限らず、特にCDでソロの演奏を聴いてあまり面白く感じる事がないのは、奏者一人の頭なり感覚だけで造り上げて行くことに限界を感じてしまうからなんだと思う。勿論、私はM氏のファンなんだし、生で聴くとソロも面白いことが多いのだけれど(聴衆がいるからなのかも)、CDは往々にして独善的に聴こえる。

そんな演技論とか人生観とかを、特にニノとか大野くんへのインタビュー記事から垣間みて、勝手に共感したりしているワケです。あの人たちって、日本的な佛教観みたいなもの持ってるみたい。来た仕事は全て受け入れるとか、『魔王』にしても、これをやることは絶対なんか意味がある筈、とか。あんな若い人たちがそういう考え方をしているのって、興味深い。

でも、つい先日『風のガーデン』を観て、中井貴一って素晴らしいなぁと思ったのだけれど、その「素晴らしさ」の中には、この人の出る作品で面白くない物は無いということへの信頼感もある。そう考えると、作品を選ぶということの大事さの方が勝つような気もするけれど。

それと、北海道の嵐友の影響もあって、これまであまり観ていなかった類の映画(DVD)を何作か観た。『ヒトラーの贋札』とか『パンズラビリンス』『四分間のピアニスト』なんか。『四分間〜』以外は良かった。最近観たのは『トニー滝谷』という映画で、これは村上春樹の小説が原作らしいけれど、これもそれなりに面白かった。昔はサスペンスとかちょっと恐い映画が好きで、そうそう大野くんが面白かったと言っていた『Usual Suspects』とか『ミザリー』なんかも昔観て面白かったんだけれど、最近はその類は観なくなったな。どちらかというと全くのフィクションには興味が薄れていて、どこか史実とか現実につながっているものでないと、という感じになってきてる。

とはいえ、連休なのでまたツタヤに行ってみたら、『トニー滝谷』をキッカケに日本映画がマイブーム気味なのか、『太陽』と『オリヲン座からの招待状』を借りることになった。でも、明日は少し、雑誌の整理しなくちゃだな。