久し振りにフルートを吹いた

なんだか最近、全然吹いていなかったのだけれど、突然アンデルセン教則本)を吹いてみたくなってきたのだ。

フルートは二本持っていて、一本はちゃんとケースに入れてあるのだが、いつでもすぐに練習できるように一本は出しっ放しにしてある。銀製だからもう真っ黒になっていたのだけれど、構わずに、とりあえず吹いた。久し振りにしては思ったほど腕が落ちていなかった(って、元々ヘボなんだけど)ので、またこれから復活できそうな気がした。そうなると急に、これまで放っておいたのが申し訳なくなり、夕べ『流星〜』を見ている間じゅう、ずっと磨いていた。

練習をさぼるようになったのは、一つには、老眼で譜面が見にくくなったこともある。眼鏡をかければいいのだけれど、すぐに目が疲れてしまう。仕方が無いので加藤元章さんのCDを聴きながら、耳だけで追う方法も試してみたけれど、いつの間にか折れた。

よく、目が見えないとそのぶん耳の感覚がすごくなって、音楽も、より吸収され易いように言われる。私もそうかと思っていたし、確かにそういう部分もあるかも知れないけれど、譜面で色々確かめながら練習できないというのは、長年譜面に頼ってきた者にはやはり不安だ。加藤氏の演奏と言えども、これで良いのか?と思う時があるからだ(多分、いいんでしょうけど)。手本となる人の解釈が間に入ってしまうからどうしてもその影響を被ってしまうだろうし、それはあくまでインスパイアされた音楽であって、オリジナルな解釈ではあり得ないだろう。

こんなことを言うのも、この間、最近評判のとある盲目の演奏家のCDをふと買って聴いてみて、期待ほどには感銘を受けなかったからというのもある。勿論、それは偶々その人の演奏能力(テクニックだけではなく、感受性など全てを含む)が元々、私の好きな他の演奏家ほどでは無かったせいだけなのかも知れない。つまり、もしその人が盲目でなかったとしても大差はないのかも知れないが、何か物足りない気がしたのは事実だ。

練習を再開してみると、やっぱりいいな楽器って、と思う。できれば、楽器の練習だけしていればいいような生活がしたい、とも。でも、壁にぶち当たるとすぐに放り出してしまうのが私の悪いクセだな。底が知れたような気がして、急にやる気が失せるんだよね。
人のことなら冷静に、「才能って、ほとんど『努力』のことなんだな」って分かるのにね。