外食だった。

月に二回の外食の、一回は廻るスシでも、あと一回はステーキか何かの筈なのに、今日も廻るスシだった!
…まぁ、もう何も言うまい。

食べ終わって、真ん中の姉が綾小路きみまろのDVDかCDを借りたいというので(!)、近くのTSU○AYAに寄った。先日紅葉を見に行った時に乗ったバスの中でずっときみまろのCDが掛かっていて、観光よりそれが一番面白かったのだと言う。勿論、お笑いコーナーにそれはあったのだが、談志の若い頃の落語CDもあったので、私はそれを借りた。長姉は職場で見てもらうための古い日本映画と『子猫物語』を借りていた。そして私はARASHICも借りた。以前借りた時にPCに××しておいたのだけれど、ドライブが壊れて買い替えたから、今のPCにはまだ入っていないのだ。

行きの車中では、 例の定額給付金について麻生総理をミソクソ(やはり、ミソが先の方が一般的なよう)に言いながら来たのだけれど、帰りはキース・ジャレットの Inside Out を聴きながら帰って来た。私が貸したCDだけれど、姉も気に入ったようだった。でも姉はどちらかというとクラシックファンなので、キースの呻き声はやはり気になるようだ。私も、生で初めて聞いた時は驚いたけどね。今は全然気にならない。

もう、20数年前の話だけれど、赤坂のとあるホテルでキースに遭遇したことがある。とある方達と二階の喫茶店でお茶していて、ふと窓の外を見るとキースが歩いているではないか!ちょいとすみません急用が…といいながら、慌ててテラスに出た。キースは何かメロディを口ずさみながら歩いていたような感じだったので話しかけるのは迷惑かなとも思ったけれど、ワタシにとっては千載一遇、申し訳ありませんがと手帖にサインを貰った。本当はサインなんかじゃなく、あの手に触ってみたかったけれど、近くで見てもすごく神経質そうだったのでやめた。彼のサインは、落書きみたいなぐじゃぐじゃしたものだった。なんでこんなもの欲しがるんだ?と、わざと読めないような字で書いたような。

それから、数年前にジャズピアノのM氏と新潟で喫茶店に入った時に、丁度BGMにキースが掛かったのだけれど、M氏に「ねぇねぇ、これ誰だと思う?キースだよ!」と言われるまで彼だとは気づかなかったくらい、演奏は静かで、素直というのか、むしろのっぺりした印象のものだった。「別人みたいだよね。キースは精神的な病気で暫く演奏をやめていたの。で、回復して一作目がこれ。まだリハビリ中みたい」というようなことをM氏は言っていたが、まさにそんな感じだった。正しくは精神病ではなく慢性疲労症候群というらしいけれど、キースみたいに世界中をいつもハードに廻っていて、しかも演奏があのテンションのアドリブじゃ、そんな病気になるのも無理はないと思われた。Inside Out はトリオが復活してからのものだが、なんていうのか、昔からキースは素晴らしい演奏家だったには違いないけれども、それまでは生で、もの凄く「気」の入った演奏を聴いていても、イマイチ心底ワタシの琴線に触れることはなかったのだけれど、このCDを聴いて、初めて泣いた。このアルバムで初めて、キースの演奏が本当に好きになった。

きっと新潟で、のっぺりとしか聴こえなかったアルバムも、きちんと聴けばまた全然違う印象を持つのかも知れないな。