成人式

毎年、ケバケバしい振り袖姿の女の子やホストみたいな男子をテレビで見ていると、なんでコレが「成人」なんだろう?というギモンが湧くけれど、そんなことにはおかまいなく今年もケバいお嬢さん方をテレビで見た。あれは、呉服屋さんも悪いね。もうちっとマシな着物を勧められないもんかな。

そういう人達に混じって、たまに普通の「和服」を着たお嬢さんを見るとホッとする。滅多にいないけどね。

自分の成人の時には東京にいたけれど、式典には出なかった。全然興味がなかったな。まぁ気持ちの上で、もうあんまりフラフラできないな、ということは思ったような気がするし、隠れて吸っていたタバコを、むしろ二十歳になったからもうやめよう、と思った憶えがある。結局、30過ぎまでやめられなかったけどね。

一つ思うのは、二十歳で大人になっていない人は、一生大人にはなれないんだろうな、ということ。自分がそうなんだけど、一生、オトナになれない人となれる人は、割と早い段階で決まるような気がする。まぁ、自分が、オトナだなぁこの人、と思う人はそうたくさんはいないし、その人達が自身のことを大人だと思っているかどうかは分からないのだけれど。昔の人は早くから大人になっていたような気がする。子だくさんの家が多かったから、よほど裕福でもない限り、早くから自立した人が多かったせいかも知れないな。人と人との関わりももっと密接だったから、嫌でも相手の気持ちや立場を考えながら付き合う必要があったせいもあるだろうし。

話は和服に戻るけれど、うちの母親もご多分に漏れず、成人を迎える娘のためにちゃんと振り袖を誂えていてくれた。にも拘らず、「なんでこんな無駄なお金使うの!?着物買うお金があるなら、大学にやってくれれば良かったじゃない!」なんて噛み付いて泣かせたのは、若気の至りだったな。

お母さん、ごめんね。どうしても行きたいと言えば、行かせてくれただろうに。親は、確固たる勉学の志がないなら行く必要はない、と言っただけなんだろうし、それは至極まっとうな考え方だったのにね。