約一年ぶりに高校の同級生に

会った。去年会った時は、お姑さんに認知症が始まって、受診の時に粗相をした話などを聞いたばかりだったのだけれど、年末に賀状欠礼の案内が来て、そのお姑さんが夏に亡くなられたことを知った。

「亡くなる前日までデイサービスに行っていて、帰って来てちょっと疲れたというので早めに床に就いてもらった。翌朝、なかなか起きて来ないので部屋に行ったら、もう心停止していたの。見るからにもう駄目だと分かったけれど、娘が救急車を呼んでくれて。乗っている間中、救急隊員が蘇生術を施していたけれど、やっぱり駄目だった。

第一発見者だったから、警察が来て色々訊かれて、貯金通帳まで調べられて、死体解剖されて。もう二度と『第一発見者』にはならないわ。結局、心筋梗塞という診断が下りたけれど、色々考えて家族葬にしたの。でも、家族葬にしたことは結果的に失敗だった。『なぜ報せてくれなかった?』という人がいつまでも個別に訪ねて来られるので、却って応対が大変なの。やっぱり、嫌でもああいうことって人並みに普通にやっておかないと駄目みたい。

あまりに突然の死だったので、去年じゅう、気持ちを引き摺ったのね。片付けをしようと思うけど、何一つ捨てられないの。あ、この靴下は一昨年私が買ったものだなぁとか、もうヨレヨレになってても、なんか捨てられないのよ。義母の散歩にいつも付き添っていたことを見ていた近所の人や友人は、これでやっと貴女も少し楽になれるわねなどと言って行くけど、言われる度になにか違和感があった。89歳だったけれど100まで生きそうな気がして、覚悟はできていたのに。

でも最終的には、お義母さんが私に(100までの)10年間、好きにしていいのよってプレゼントをくれたんだと思うことにしたの。年が変わって、気持ちを切り替えた。それでね、高校の時にやっていた卓球を再開したんだけど、コーチが福○愛を教えてたような人で。練習が厳しくて、気がついたら関節痛で歩くのもやっとなのよ。もうトシなんだなぁって改めて思い知ったわ」とケラケラ笑っていた。

自分の親が亡くなるのもショックだけれど、長年関わって来たお姑さんが亡くなられるのは、また格別な思いがあるんだろうな。亡くなられたことを知った時、私は、お義母さんはきっとご自分の誇りを守りたかったんだろうなという風に思ったのだけれど。考えてみれば、理想的な亡くなり方かも知れないよ。

それから、娘さんの就活の話やら色々興味深い話を聞いたけれど、それは明日書こうっと。