七夕だったからか

大昔の恋人(?)が夢に出てきて来た。ハテナがつくのは、時には「なかったこと」にしているような、本当に短く浅い付き合いでしかなかったからなのだが、きちんと成就しなかった恋というのは、いつまでもどこかに棘のように刺さったままなのかも知れない。

私は、同僚なのか友人なのかは分からないけれど、何人かの人たちと一緒にパーティか呑み会のようなものに参加していたようだ。もしかしたら嵐友達だったのかも知れない。彼は隣の家、あるいは隣の部屋にいたのだけれど、彼も一人ではなかったと思う。その内に、私は彼がいることに気づいて(誰かが教えてくれたのかも知れない)懐かしく思い、私の方から訪ねて行った。

現実ではあり得ないことだ。苦い思いをした相手であり、できれば二度と会いたくないと長年思ってきた。普段は外国にいる人なのだが、永住権を持たないのか、たまに帰国しているのは知っていた。でも彼の帰国を知ると、現れそうな場所には行かないようにしているくらいなのだから。

この人に限らず苦い思い出のある相手が出て来て、少し懐かしがっている夢をたまに見るのは、どこかでその苦い思い出を「時の流れ」に委ねて、赦したい気持ちがあるからなのだろうか。時々思うのだけれど、人間って人にどんなに嫌なことをされても、どんなに憎んだりしても、一方で赦したいという本能のようなものが備わっているのではないか。尤も、この人に対しては憎しみなどなく、ただ失望(というより「幻滅」か)と自分のバカさ加減を嫌というほど味わっただけなのだけれど、もっと強烈に嫌な思いをさせられた相手のことすら、できれば赦したいと思っていた憶えが確かにある。どこかですれ違う時に、その人の自分を見る目の中に後悔の表情が浮かんでいることをいつでも祈っていた記憶があるのだ。

懐かしい感じで話している内に、彼の方に私に対する好意のようなものが甦っているらしいのに気づいて、私はマズいことになったと逃げ腰になっている。ただ、そうは言ってもそう悪い気持ちではなく、もうそんな歳でもないし…と思っているだけなのだが、そろそろ帰らなくては、と思う。すると彼が、自分のことが載った雑誌かなにかの記事を読んで欲しい、とその記事を差し出した…そんなところで目が覚めた。

なんだろこの夢は…と考えて、ああ七夕だったからか、と気づいた。

さて、自己分析。部屋や家は、自分自身の心の象徴。その中に仕事仲間とも友人ともつかない人達と一緒にいたということは、私自身の心の中で仕事や趣味のことが色々気にかかっている。が、他方「隣の部屋にいる懐かしい彼」、つまり夢の中の登場人物だから彼であってもそれはアニムス=私自身の男性的側面なのだが、それは多分「挫折してしまった、若き日の憧れや才能」か何かの象徴なのだろう。日常的な煩雑さをそれなりに楽しみながら、もう一方では私自身が若き日に夢見てた憧れや才能を取り戻そうとしているのではないか。彼が象徴するものは「才能」であり「失望」であり、「情熱」であり、風の噂で大病を抱えていると聞いてからは「死」を連想させる人でもある。命ある内に若き日の情熱や夢を取り戻せ、というメッセージなのだろうか。

…とまぁそんなことをマジメに分析しながらも、なかなか惰性的生活から抜け出せないのだなぁ。