曇天の部分日食だった

仕事中にも拘らず、上司のご家族の計らいで少しだけ日食を見ることができた。雲の間から、ちらっとだけだったけれどね。家に帰ってテレビで皆既の映像を見ていたら、半端ない美しさだった。ん〜、上海の皆既日食ツアーにするべきだったかなぁ。次に当地で皆既が見れるのは、26年後かぁ。意地でも生き延びて、この目で見なければ!ワタシは日頃、どちらかというと「長生きしたい派」ではなく「ソコソコでお迎えに来て欲しい派」なのだが、こういう天体にまつわることとか宇宙旅行の可能性とか考える時だけ、できるだけ長生きしたいと思う。まぁ、宇宙旅行は果たせないだろうけれどね。仮に、もう数十年で庶民にも届く費用で宇宙旅行ができるようになったとしても、90や100歳ではサスガに体力的に無理であろう。

夕べはワケあって○十年ぶりに水彩絵の具なんかも使っちゃって、とあるポスター作りをした。図画工作は決して得意ではないのだが、腰は重くても、やり始めると案外楽しいものだな。夜中にFREESTYLEのポスターの前でそんなことを繰り広げていると、自分もイッパシのアーティスト気分である。んふふ。大野くん、最近は釣りばかりで、絵は描いていないのかな。周りに期待されると、やりたくなくなるということもあるんだろうな。

水彩絵の具は姉が生け花をする時のスケッチ用に持っていたものを借りたのだけれど、ハタで見ていると、生け花というのも大変そうだ。姉も一応教授の免許は持っているので師匠代理で教えることもあり、我が家はいつも花で溢れている…というと聞こえは良いが、バケツに突っ込んだままだったり、かと思うと、床の間や座卓の上に何盤も練習用に生けられていたりして、風情もなにもあったものではない、という時もある。

もっともトイレにも洗面所にも台所にもリビングにも何かしら花は挿してあったり生けられているから、それはやはり潤いのようなものを与えてくれる。今日はリビングにトルコ桔梗を中心とした水盤活けがあったが、ワタシのようなシロートが見ても非常に綺麗だと思う。姉はワタシと違って子供の頃から美的感覚が鋭いというか、美しいものに夢中になるタイプで、花とか風景とか何かしら美しいものに出逢って心から感動している様子を見るにつけ、ワタシには見えないものを見ているのであろうなと、羨ましいと同時に心が洗われるような気がする。

ワタシは完全に、花より団子タイプだもんなぁ。