仕事の帰りに車の中で

上原ひろみのサード・アルバム(『スパイラル』)を聴いていたら、急に亡き伯母を思い出してしまって、運転中なのに涙が浮かんで困った。いや、涙以上に、故人をあまり懐かしむとその世界に連れて行かれそうでマズいなと思った。

子供の頃は、いや、亡くなってからも伯母さんに抱いていた印象は「頭は良かったらしいけど、田舎くさい人」というものだった気がするのだけれど、今日あの笑顔を思い出してみると、本当に優しかったなあとしみじみ思う。生前伯母にそれほど良い印象を持っていなかったのは、母がなぜかあまり良く言っていなかったからだろう。晩年、保険の勧誘をしていた伯母さんが、割の良くない保険商品を勧めて来たとかなんとか言って。真偽のほどは分からないけれど、そんなことぐらいで悪者扱いしなくても。うちの母は人好きのするタイプだから、商売をやってた頃はホントにいつも色んなお客さんがまるで親類かなにかのように家の中に出入りしていたのだけれど、実は滅法口が悪い。裏表があると言うにはあまりにも明るかったので、そんな印象は持たれないけれど。でも、伯母さんはいい人だった!と今ワタシは断言したい。

若い頃はお産婆さんで、母の故郷のある時代の人達はほとんど伯母が取り上げたと言っていいほど忙しかったらしい。結婚したけれど子供ができずに別れて、子だくさんの弟の子供を一人引き取って育てた。それが、私の家に一番よく来ていた従弟だ。すっごく可愛かったので来るのが楽しみだったのだが、本人はいつも、すぐ家に帰りたがっていた。

高校生の夏休みに久し振りに遊びに行くと従弟はいなくて。伯母が夜、ここで寝なさいというので、いいのかなと思いつつも従弟の部屋で寝ていたら、翌朝まだ寝ているところに従弟が帰って来て、従弟でも一応オトコなのでバツが悪く、一体オバさんは何を思ってワタシをこの部屋で寝かせたのだろう…と思ったのを憶えている。それから、従弟に誘われるまま近くの神社に行き、古くて大きな杉の木の胴回りを手で測ったら、二人分の両手も届かない程で驚いたり。あの従弟が、井上陽水が好きらしいと初めて知ったのも、あの時だったかなぁ。伯母さんが留守の間、私が料理を少し作ったのに、肉しか食べないと知ったのもその時だ。なんでこんなに我が儘させておくんだろう、と思ったものだ。オトコは何でも食べないとね(智くんみたいに?)。

なんで出し抜けに伯母さんのはにかんだような笑顔を思い出したのかは分からないけれど、その人の思い出がいつも笑顔っていうのは素敵だな。自分なんかいつも仏頂面してるんだろうから、誰かがワタシを思い出してくれるにしろ、いつもこの仏頂面なのかと思うとサスガにいかん!という気がする。

よしっ。明日からは少し愛想良く…と思うけれど、これがなかなか難しいのだなぁ。