もうすぐ退職する同僚と

半ドンの仕事を終えてからお茶して来た。彼女は去年定年を迎えて、その後はパートタイマーとして働いて来たのだけれど、家庭の事情もあり、「仕事がどーにもこーにも嫌になった」こともあって、「後先(あとさき)も考えずに」退職を願い出た。後任をどうするという問題もあって暫く保留になっていたけれど、最終的には希望通り春には辞められることになった。

うちの姉は、定年まであと一年というところで配置換えがあり、やっぱり「どーにもこーにも堪えられない」と言って辞めた。その時はオドロいたけれど、私も定年まであと三年というところに来てみると、その気持ちも良く分かる。自分も定年まで保つかどうか、分からないと思う時がある。働くこと自体は嫌じゃないけれど、もう少し負担の少ない仕事はないものかと思う。彼女もそう言っていた。まっ、楽な仕事なんてどこにもないんだけどさ。

退職後をどうするという話、取りあえずオットの方と海外旅行に行くとか、蓄財の話とかも色々聞いたけれど、認知症の親御さんも抱えている人だから介護制度についての話も出た。彼女は最近、親御さんが一年間にデイの施設に落とすお金が数百万円にも及ぶことに気がついて、改めて驚いたのだという。介護保険サービスの自己負担は一割だから利用者が支払うお金は例えば月に2万円だとしても、デイの施設側では利用者の負担金を含めて20万円の収入がある訳で、年間にすると240万円である。週に数回デイに通うだけで、そんなにお金がかかっているのだ。そしてそのお金は、財源や呼び名は色々異なるとは言え、所詮はワレワレが払っている税金なのだ。

私は常々、ドイツのように家族介護を有償化すれば、職業的介護士の人手不足も施設不足も、ひいては財源不足も軽減されるのではないかと思っていたのだけれど、彼女も同じ意見だった。以前、とある研修に参加した際に、その時の講師で厚生労働省の諮問会議なんかにも出ているらしい人にこのことについて訊いてみたことがあったが、「介護保険制度の発足当時にはそんな話も出たけれど、嫁の立場にいる人が却って大変になるし、日本の家族制度という風土にそぐわないとかいう理由で断ち消えになった」ということだった。その講師自体も嫁の立場だから、「そんな制度になると、嫁は家に縛られて外で働けないから嫌よ」と冗談とも本気ともつかない顔で言っていた。

でも、別にそんなことないんじゃないかと思う。家族が外で働きたいのならば今と同じようにヘルパーやデイを利用すればいいのだし、家族介護者にある程度専門的な介護技術を習得してもらって報酬制にし、定期的に介護士やヘルパーも関わるようにすれば、家族介護者自身の体も守れるし(無理な介護で腰痛になったりする人が多い)、報酬を得ることで少しは気が楽になったり仕事だからしっかりやろうという意識も芽生えるのではないだろうか。なにより、ヘルパーが時給1000円の収入を得るためには、その倍以上の経費、つまり税金が必要だけれど、家族介護なら1000円ポッキリしか要らない訳だ(事務手数料は別として)。

増してこんな職不足の世の中、家にいて家族の世話をして収入が得られるというのは、悪くないと思うんだけれどなぁ。