約三年振りに

従弟の息子に進学祝いを渡しに行ったら、まるで別人だった。まぁ中3から高3の三年間なんて尤も変遷著しい時期だろうから無理もないが、あれでは街で偶然見かけたとしても気がつくまい。三年前には正直、このコひょっとしてジャニーズに入れば人気が出るのでは?内緒で事務所に写真送ってやろうかしら、と思うくらい可愛かったのだが、今はその面影もなく、あまり好きではない今風のアンちゃんになっていた。安っぽいホストクラブにでもいそうな感じっていうか。結婚式に出ていた他の親戚の話では教師を目指しているということらしいが、これじゃヤンキー先生じゃ〜ん。

などということは内心思うだけにして、良かったわね〜と月並みな挨拶をして帰ってきた。

若い人の成長過程を見る機会はあまりないのだけれど、この頃、二十代前半のとあるブロガーさんの、高校生の頃の記事に遡って読み始めていて、これが失礼ながら成長記としてタイヘン面白い。これまではここ数ヶ月のものしか見ていなかったので、なんかすごいセンスがあって、複雑な気持ちをとても細かく表現できる人なんだなと思って読んでいたのだけれど、高校生の頃はとても気持ちがストレートで、元気一杯なので驚いた。このまんま小説として読めるほど興味深いし、読んでいてドキドキして来る。まさに道端に落ちている誰かの日記を読んでいるような気分だ。

しかし、そんな元気な高校生もいつしか世の荒波に呑まれてシューカツ問題で苦しんだりするのだよね。多分、妙にしっかり自分を持っていたり個性的であればあるほど企業は雇わないかも知れないし、学歴から言えば(勿論、分野にも依るけど)短大卒か大学卒が一番雇い易いんだろうと思う。

前に、自分は就職問題であまり悩んだことはないと書いていたけれど、よく思い出すと応募しても受からなかったことも結構ある。ただ、根がオメデタイせいか、落ちても「あ、この会社とは縁がないんだな」ぐらいにしか思って来なかった。それは、無意識に落ちたことのショックを緩和させようとする心理が働いていたのかも知れないけれど、実際、職場が決まってみると、「ここに来るために他で落としてくれたんだな」と思えることが多かったような気がする。

それと、若い時って人のちょっとした動きや表情に敏感で、人の気持ちがダダ解るような気がして、そのぶん人に対して恐怖心が強くなるものだよね。自分の場合は場数を踏むことで緩和されて行ったし、自分が思い込んでいるほど相手は自分に良かれ悪しかれ注目していないことに気づくことで解放されたように思う。人に好かれたいとか、上手くやらなくては、なんて思わなければ、そういう恐怖感から逃れられるのだ。恐怖感というのは欲の裏返しらしいからね。

ああ、それにしてもキビシイ世の中だな。っていうか、このままで大丈夫なのかしら日本って?このままでは、本当にじり貧だよね…。