運について

昨日録画しておいた「笑っていいとも」特番の、ニノの映っている場面だけ見た。なにあれ、あの手押し相撲の強さ!負けず嫌いとかカラダが柔らかいとか色々あるけど、最後のジャンケンでも勝った時、やっぱりノッテル時ってどこまでも運が追いて来るんだなぁ、の感を強くした。

そういえばワタシも若い頃、そう30過ぎぐらいまでは、自分ってなんて運が強いんだろう、と思っていた。まぁ、二十歳前後の頃にはちょっとした挫折やなんかもあったんだけれど、それさえも、より自分に相応しい道に進むための布石だと受け取っていた。コレ!と思うようなオトコに出逢ってケッコンもできたし、やってみたかった仕事も出来たし、やめてからも面白い会社で働けたし。30代半ばには、もう思い残すことはなにもないな、なんて思っていた(子供産んで育てる以外は←って、ソレが一番大きいだろうよ、というごイケンもあろうが)。

でも、そこで運を使い果たしたのかなぁ。その後の人生がツイテナイとは決して思っていないが、「ツイテる!」と思うことはとんとなくなった。きっと「私はツイテる!」と思えた頃が、いわば人生の「旬」だったんだろうな。

でも反面、本当の人生はこれから始まるんだろうな、という気もしている。今更「本当の人生」ってなに?って話だけれど、ガラにもなく真面目に言ってみるならば、「なぜにこの世に生を受けたのか」「ワタシはこの世に何をしに来たのか」というか。まだまだ使命を果たしてない感じがする。「使命」ってなに?あんた、どこの☆から来たの?って言われても困るんだけど…。

とにかく、もう「運」なんてどうでも良い年代になって来たってことだけど、恐いというのならむしろ、使命を果たさぬ内にポックリ逝くことだわね。少しイノチが惜しくなる。でも、そういう、惜しいという気持ちが芽生えること自体が、生きるってことのイミなのかも知れないな。なにをやる、とかではなく。

話は少し逸れるけど、私が仕事で訪ねていくお宅には、いわゆるヒキコモリとか、自傷他傷のひどい後遺症を負った人などが時々いる。担当ケースではなくて、その家族に。重症な人には会うこと自体も少ないのだけれど、会うことはないんだろうなぁと思っていると、出し抜けに挨拶に出て来られて、しかも「最近、また死にたいなんて言うんでねぇ…」と身内の人から、どうも助言を求められているような雰囲気が漂って来ると、ついボソボソと、「私も若い時は何度も死にたいって思ったこともあるけど、生きてるといいこともあるよ」なんて言ってしまい、後になって「軽過ぎたかな…」なんて気になったりする。

でも、嘘じゃないんだよね。ごくたま〜にかも知れないけど、必ず「生きてて良かった」って思う瞬間が来る。きっとどんな人にも。その瞬間を味わうために、生きてんじゃないかなぁ。

まぁとにかく、生きてるだけで運がいい!ってことですかね。ベツに嵐やニノを羨む必要はないですよね。