「世の中が嫌になった」と言って

人様を巻き添えにしようとするヤカラが多くて困る。そんなにイヤなら、一人でひっそり死ねば良いものを、何人も道連れにしてどうするんだろう?

ちょっと話は違うのだが、先週末の真夜中、もうすぐ1時になろうという時に、とある人が泣きながら「死にたい」と電話して来た。詳しいことは書けないが、色々大変な境遇の人ではある。曲がりなりにも相談員だし、年齢的に言っても人生経験はそれなりにあるので、自ら選ぶ死というものがいかに馬鹿げたハタ迷惑な行為であるかという持論(いつの間にか、それはもう自分の中で持論になっていた)を、自分でも思いがけないくらいスルスルと説くと、相手は存外素直に聞き分けた様子で電話を切った。自分で吐いた言葉は、自分自身にも跳ね返って来た。「それは駄目。それだけは絶対にしちゃいけないことなんだよ。これまで頑張って来たことが全て台無しになってしまう。残された家族が、一生負い目を感じて、自分を責め続けることになるんだよ」

朝になって訪問すると、嘘のようにスッキリした面持ちで、「小爆発したのでもう大丈夫です」と笑顔で言っていた。むしろゲンキン過ぎる程の回復振りである。勿論、だからといって今後も注意は必要ではあるけれど。

電話をもらったときはまぁ〜驚いたけれど、SOSの旗を自分に振ってくれたことに安堵する気持ちもあった。でも一方で、やっぱり他人に向かってこんな風に泣きながら死にたいなんて言っちゃあいけないよ、と強く思ったりもした。なぜか私はそういうSOSをもらい易いヒトのようなのだが、それは自分の中の厭世感のようなものが相手に呼応して、「この人なら分かってくれそう」と思われるからなのか、逆に、この人なら叱ってくれそうと思われているからなのか分からない。今回の場合は仕事がらみだし、仕事がらみでなくとも親身になれたと思うけれど、正直、場合によっては全く他人事にしか思えずに、黙って心の中で毒づいていることだってあるんだよ。

それと、この人の家にいくと、もう〜すご〜く汚いし乱雑なのよ。まぁ私もだらしないから人のことはあまり言えないんだけど、それにしてもヒド過ぎるのよね。夢判断では「家=自分の心」だから心理学的にもきっと同じだと思う。最近「断捨離」ってのが流行ってるみたいだけど、年末でもあるし、少し家の中のもの整頓してみたら?って思い切って言ってみた。疲れて帰って来た時に、あの汚い家に帰るともっと疲れる筈だわ。

いずれにしろ、ストレスは溜め込んではいけませんな。いつもはけ口を用意しておかなくてはね。