自分を試されるようなことが

二つも起きた。こんなことは、そうそうなかったような気がする。仕事上のことではなく、もっと本質的なこと。初夢は当たっていたかも。

試されているのは倫理感、なのかな。誠実さ、か。災難というのは本当に思わぬところから「ぬいっ」と現れるもので、霧の中を呑気に歩いていたら急に周囲だけ晴れて、二つに別れた路の先はそれぞれまた霧に隠れていて、一方だけ崖に続いているような感じ。あるいはタロットの「運命の輪」を引き当てたような気分。あの回転音は昔一度聴いたことがあるけれど、また聴くことになるのか。さぁ、どうする。どっちの路を選ぶんだ?

自分が誠実な人間だとは思わない。でも、できれば誠実でありたいとも思う。倫理観だって結構希薄かも知れない。子供の頃から人でなしなことをしたこともあったし、犯罪の被害者と加害者がいれば、どちらかというと加害者の方に強く同情してしまうタチだ。今なら、殺す気もなかったのに何かの間違いで人を殺してしまった人の気持ちも分かるような気がする。いえ、殺してませんし(当たり前だ)、多分、人からみれば問題はもっともっと小さなことですが、小心者なんでね。
関係ないけど『苦役列車』読了。あっさり終わるとは聞いていたけど、それこそ乗っていた古めかしい蒸気機関車が急停止して「下りてください」って言われたくらいの、あれっ全文掲載じゃないのか?と思うような終わり方。本人は最後の一文で将来に対する微かな希望を示唆したつもりなんだろうけど、なんか伝わらなかった。

『きことわ』の作者は読売新聞に一文書いていたが、やっぱり村上センセイの選評がひっかかってるんだろうなぁ〜と思いながら読んだ。私がもし芥川賞受賞して前途洋々だと言われたとしても、選評にあんなこと書かれたら酷くショックだもの。『苦役列車』の作者なら、「苦労していないオマエに何が分かる!?」と居直ったり無視することもできるでしょうが。でも朝吹さんは、お嬢様ゆえか、良くも悪くも強い人のようだった。作品は一応読んでみることにする。