この度の地震で

被害を受けた方々がこんなブログを覗いておられるワケもないが、ニュースを見る度に日本中の人達が心を寄せ、何かしてあげたいと思っているに違いない。テレビでは被災者が、あれが欲しいこれが足りないと言われるので救援物資を送りたいと思う人が多いと思うのだけれど、実際には個人で物を送られると却って振り分け作業に人手を要したりして困るらしい。今出来ることは、献金と節電ぐらいしかなさそうである。節電の方は一種のチェーンメールだったらしいが、まぁ、いつでも節電はした方が良いだろうし、首相にもお願いされたことだし(というワケで、いつもより電気暖房控え目です)。

当県は本当に災害の少ない地域なので、これまでにも何度も「いざという時のために、タンス固定しなきゃねぇ」とか「非常時持ち出し袋を用意しときゃなきゃね」と口では言うくせに、実際にはほとんど何も用意して来なかった。しかし、今度ばかりは違う。今回の地震でも、たまに小さな揺れを感じる程度でまったく被害がなかったが、その小さな揺れがいつかドカンという巨大地震に取って代わるのではないかという不気味さを感じて、いつになく体が固くなる。実際、ここ数日、東北・関東沖に混じって石川沖や長野でもかなり大きな地震が起きているし、それが全国に広がって、いつか見た映画「日本沈没」のようにならないとは言い切れないような気さえする。

私事としては、地震が起きる前の11日の午前、伯母の訃報が入った。通夜は翌日だったのでそのまま仕事を続け、午後に同僚達が、どうもかなり大きな地震津波があったようだと騒ぎ出し、遠くからチラチラテレビを見たりしていたものの、何しろ仕事中だったので、本当に驚いたのは夕方帰宅して間近でテレビを見てからだった。東京の友人に電話を入れたがまだ帰宅しておらず、取りも直さずまずは伯母の家にお悔やみに行き、帰宅してから再度東京と神奈川に住む友人達の安否を確認した。どちらも無事で一安心だった。

今回のような場合、ツィッターの有用性を実感をした人達が多かったに違いない。私も、やはりツィートは必需かなと思ったりした。しかし東京在住の友人は、ツィートするどころかそもそもケータイを持っていない。仕事ではMacを使うので全くのアナログ人間でもないのだが、どこにいても電話やメールに追いかけられるのが嫌なのだろう。彼女は2時間半歩いて自宅に戻ったようだが、常に防災マップを持ち歩き、食器棚や冷蔵庫を固定するなど、いざという時の備えをしていたようだ。アッパレである。やはり、まずはそこから始めた方が良さそうだ。

でも、やっぱり他の人達との情報の共有も大切だよね。