+act. 11月号

写真もいいんだけど、今回はさとし君と奈良さんへのインタビューが特に良かったなぁ。やっぱりさとし話は深く追求してくれると面白い。絵(を描くこと)がさとし君にとってどんな存在なのか、今描いている絵がFREESTYLEからどんな進化を遂げているのか、見てもいないのに垣間見たような気にさせられた。これは永久保存版だな。

大野くんにとっての絵のようなものって、みんなにあるんだろうか。この場合の「みんな」ってのは、勿論嵐界隈の人々という意味だけれど。自分の場合はなんだろうと考えたけど、ないような気もする。仕事ではないけど、これだけはせずにはいられないという、趣味なんだけど単なる気晴らし以上のもの。若い頃は、音楽がないと生きていけない、特に歌は自分に不可欠だと思っていた時期もあったけど、今はベツに音楽がなくても歌わなくても生きて行ける。鼻歌さえなしに何日もいることもある。嵐を聴くのは単なる習慣であって「音楽」のジャンルとはまた違っているのだし。

ただ、歌わなくても歌のことはいつも心の隅にあって、たとえ犬の散歩をしながらでも、歌い始めるとそれは気晴らしなどではなく、もっと上手くなるため、もっと良い歌を歌うための「練習」になってしまう。ベツにまた歌手になろうとか、いつか誰かに聴かせようというワケでもないのに妙に求道的になってしまって、最適なキーを捜したり、ちょっとしたフレーズに拘ったりしてしまう。歌って誰にとってもそうなのかしら。だからみんな、カラオケに行って練習しているのかな。以前は、歌って発散してるのかと思ってたけど。

そんなことを考えつつ、金スマの影響で「魔法の片付け」に入っている今日この頃。第一段階の服の整理で、大きなゴミ袋3個分は出た。ときめくものだけ残すというこの方法は、これまでの片付けの勧めの中で一番納得できたなぁ。次は本にかかるのだけど、これが結構難題で、去年も年末に整理して片付いたと思ってたのに一年でまたまた増えている。特に、語学関係の本とか楽譜は、買うときにかなり検討してから買ってるから捨てるに捨てられなくて困る。それでいて、ちょっとやっただけでいつの間にかしなくなっちゃうからなぁ。やっぱり整理すべきなんだろうな。

そう考えると、なんて浪費だらけの毎日なんだろうと思う。先日も大学の国際協力の授業の中で、この地球上の約63億人の人を100人の村に縮めるとどうなるかというのを聞いてひっくり返った。村(地球)に住む100人のうち、「20人が栄養不足で1人は死にそうなほどです。でも15人は太りすぎです」「銀行に預金があり、財布にお金があり、家のどこかに小銭の入った入れ物がある人は、もっとも豊かな7人のうちの1人です」「村人のうち、1人が大学の教育を受け、2人がコンピュータを持っています。けれど14人は文字が読めず、その大半は女性です」だって。

一昨年、中国の大連に行ったときも、日本って恵まれているんだなぁということをつくづく感じたけど、もっと世界的な視点で自分の生活を見つめ直す必要がありそうだな。