仙台二日目と「総括」的な

初日は日曜、二日目は祝日だったので、ボランティアは各地から30人余りが集まり、うち3分の1弱が女性だった。この日は泥だしの他に、仮設住宅に住む人達を元気づけるための祭り=復興祭が催されるためそちらに10人ほど必要とのことで、女性はほとんどそちらに駆り出された。

車で5分程の所にある仮設住宅は、レンガをかたどった思ったより頑丈そうな外壁で、寒冷地仕様のようだった。私たちが到着すると、既に会場のテーブル類や飲み物や食べ物の屋台等は設置されており、それぞれのボランティア団体が準備に大わらわだった。ステージでは吉本のチャンバラトリオのメンバーだという、ちょっと宇崎竜○さんに似た感じの方と、ロカビリーバンドの方達が音合わせをしていたのだが、マイク調整で一曲歌った男性歌手が非常に上手で、さすが仙台はレベルが高いなぁと思ったら名古屋KENTO'Sに出演されている方々だとのこと。私はロカビリーのことはサッパリ知らないのだが、東京で契約社員をしていたときのかなり年下の同僚が好きで、よく彼女の口からKENTO'Sという店の話は聞いていたので一流の店なのだと思う。

さて、我々は後で到着した中高年ボランティアの方達が設営する飲み物コーナーのテントや椅子を設置したり、早々と集まった高齢者達を席に案内してお茶を出したりしながら、祭りの開催を待った。

やがて仮設の住民達が大勢集まり、祭りが開催された。バンドには前述の男性歌手の他に双子と思われる女性デュオの歌手がおり、ザ・ピーナッツの懐かしい歌から始まったので中高年の方ものっけから楽しそうに聴いておられた。やがてくだんの男性歌手がプレスリーもどきの服装で現われ、得意の喉を披露すると、地元の中年女性が率先して盛り上げようと、激しくツィストともなんとも言えないダンスを踊り始めた。主催者側の中年男性も呼応し、他の人達は参加しないながらもニコニコと手拍子を打ちながら見守っていた。

昼食時には一旦ステージが小休止となり、屋台のお好み焼きコーナーなどを手伝ったりしながら、合間を見てボランティアも少しご相伴に与ったり持参した昼食を食べたりした。私はこの日もお握り一個だったのだが、屋台の生ジュースコーナーで、なんちゃらいう聞き慣れない果物のジュースを頂いた。この日も晴れて気温が高かったので、水分補給は不可欠だった。

午後のステージが始まり、最後の方ではバンドも観客も相当盛り上がっていた。ロカビリーバンドが終わると、地元の子供も交えた和太鼓のグループ演奏や踊りが始まった。

しかし我々はその間手洗い場に集められた。誰かが流した油分の混じった汁のせいで排水溝が詰まってしまったのだが、大元の原因として、排水溝に堆積したヘドロのようなものを除去する必要があったのだ。土嚢袋に幾つか泥を詰め込むとなんとか流れが出来たようだが、こんな所にも津波の余波があることを思い知らされた。

祭りに戻ると、一旦終わった筈の和太鼓や地元の踊りが再び名残を惜しむように再開された。主催者挨拶での「今日から、ここから復興を!」の言葉どおり、力強くここから始めようという意気込みのような熱気が感じられて、なんだか胸が熱くなり、今日はここに来て良かったなと心から思った。

後片付けをしてボラセンに戻り、帰りはまた一緒に活動していた母娘ボランティアさんに仙台駅まで送って頂いたのだが、駅の3階に牛タンや鮨を食べさせる名店街があると聞いたので行ってみた。3日目も昼頃までは居るので、牛タンは翌日の昼に食べることにして、この日は鮨を食べた。勿論、それなりに美味しかったのだが、多分この名店街以外のところに本当の名店はあるんだろうなとも思った。ま、最高級のを頼めば旨いのだろうけど。

ホテルに戻る途中、コンビニで嵐の記事が多めのテレビ雑誌を買った。部屋に戻ってテレビを見るとまた東方さんが出ていたのでオドロイた。新しいアルバムが出るからのようだが、嵐がアルバム出すからってそうそうテレビには出ないので、なんだか羨ましかった。この日も結局、夜の仙台を味わうことなく、嵐雑誌を見ながらホテルで過ごしたのだった。

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今日姉が録画していた瀬戸内寂聴の番組で、彼女が被災地でボランティアしていた若者たちに、「金銭的な見返りがないボランティアという無償の行為こそが素晴らしい」というようなことを言っていたけれど、本当に完全に人のために何かをするということはあり得ないと思う。金銭的な見返りがなくたって、お礼の言葉で報われたような気がしたり、お礼の言葉がなくても、自分自身の満足感を求めている部分がある。本当に無償なのは、彼らのために何かしてあげたいと思う気持ちが純粋に湧き出る最初の一瞬だけだ。

それでも、私は現地に行っても大したことはなんにも出来なかったけど、やっぱり行って良かったと思った。最初に行って帰って来た時、「何かしてあげたい」を実際に行動することが出来たことで、それまでになかった自信のようなものが少しついたような気がした。そして、現地に行かなければ分からないことも色々あることを知ることができたので、今後は細々と、今の自分に出来る範囲で、必要だと思われる支援をしようと思う。