24時間と追悼

土曜日は一日仕事のあと、その日に限って同僚たちとの呑み会があり、帰宅したのが深夜だったので、録画も見ずに寝た。日曜は朝から見ていたけれど、夕食を作り終えてから食べる間もなく、また職場に行くことになり、なんだかんだでまだドラマすら半分も見ていない。ダンスはリアルタイムで見れたので良かったけれど。

直前に、私世代の若い頃に強烈な印象を残したフジケイコがあんな形で亡くなって、やはり衝撃を受けた。最初に頭をよぎったのは勿論ヒカルのことだから、「なんてバカなことを…」とも思ったけれど、さっきヒカルのコメントを読んで、長年苦しんで漸く楽になったんだなと思っているということや、笑顔の印象が強く記憶されているようなので、少し安心した。赤の他人でありながら、彼女も大人になったんだなぁと、まるで同級生の娘さんに対するような奇妙な親しみをいつも感じてしまう。それに、若い頃読んだフジケイコの生い立ちの話は悲惨なもので、それを思えば「精神を病んで」行くのも不思議はないと思われる。

彼女には、出てくるだけで周りを水を打ったように静かにさせ、何をいうのか何をするのか、どんな表情を見せてくれるのか…息をひそめて見つめさせてしまうようなカリスマ的な魅力があった。そこに、あのなんとも言えない声と「天才的な」歌いっぷりが加わるのだから、一世を風靡するのも当然だった。アイドルには違いないのだが、アイドルという言葉は軽過ぎて、似合わない存在だった。

彼女の歌のファンでもあったとは言え、なにぶん昔のことだし元々演歌は好きじゃないしで、最近は全然聴いていなかったのだが、ひと月ほど前、なぜか無性に彼女の歌が聞きたくなり、密林からCDを買って何度も聴いていたところだった。あれは、虫の報せというヤツだったのか。

強運の人には、それと同じくらいの凶運が待っているとも言う。凡人の人生も、良いことがあれば同じくらい悪いことがある。今朝も職場に向かって車を走らせながら、昔の嫌なことを思い出していた。なんて愚かだった自分…とまた自己嫌悪に陥りそうだったが、ふと「でも、結構面白いヤツじゃん」と考えることも出来た。そうそう。過ぎてしまったことはいくら自分を責めてもしょうがない。自分が他人なら、きっと自分のようなニンゲンのことを、恐いけど面白いヒトだな、と思うかも。

そんな風に、少しずつ自分と他人を赦して行ければ、そんなに自分を追いつめなくて済むのだろう。年齢を重ねても、あんがい人生は危うい。でも、色んな人が自分を生かしてくれているのだなということを常に思い出せれば、この先もきっと生きて行ける。というか、長生きの唯一の利点は、少しずつ人への感謝の念が芽生えることかも知れない、という気もします。

合掌。