『闇の子供たち』を見て

とても憂鬱な気分でこの一週間を過ごした。映画館で通しで見ていれば、また感想は違ったのかも知れないが、DVDだったから一度中断してしまい、後半を見るのが辛くなって来た。でも、レンタル期限があるから見ないわけにもいかず、返却日に漸く見たけれど、思いもしなかった結末にまた心が重くなった。一緒に借りたニノの昔のテレビドラマも見る気になれず、そのまま返してしまった。

阪本監督の作品は『王手』と『どついたるねん』しか見ていないが、特に『王手』は、すごく好きな作品だっただけに、あの監督が「社会派映画」をどんな風に作っているのか、興味があった。

この夏の24時間テレビを見ていたので、タイの貧しい子供たちの一部がこの映画のような状態にあったことは知っていた。いや、よく憶えてはいないけれど、多分もっと以前から報道番組で見たりもして、その度にやり切れない思いはして来たのだろうと思う。それがここに来て、事実に基づいたものとは言えドキュメンタリーではないこの映画に、これほどショックを受けたのには色々な理由があるように思う。あ、私がショックを受けたのは、心臓移植云々もだけれど、むしろペドファイル小児性愛者)の問題の方だ。うん、確かに問題点をもっと絞り込めば良かったんだろうな、この映画。移植か小児買春か。まぁ、現実的には色んな問題が交錯してるんだろうけれど。

細心の注意を払って別々に撮ったというが、ペドと子供のシーンというのは、演技とはいえ見ているのがキツかった。また、宮崎あおい扮するNGOの日本人女性を、正義感と一時の感情や温情だけで行動する「所詮は”自分探し”のイイ気な人達」のように描いていた(監督がそう思っているわけではなく、現地の女性活動家や新聞記者達がそう捉えていることを示しただけだけれども)点も、予想できたこととは言えショックだった。あのような現実を、見てしまったからには見なかったことにすることは出来ないと思うのは人として自然な感情だし、それが自分の国ではなくよその国に起きていることであっても(自国にも加害者がいることは別としても)、決して「上から目線」でやっているわけでも暇だからやっている訳でもないだろうに。報道と、目の前に起きている助ければ助かるかもしれないことを秤にかけたら、カメラやペンを犠牲にしても目の前の人を助けるべきだとも思うし。大きなことのために小さな一つを犠牲にするのは仕方がないというのは、勇気のない人間の詭弁に過ぎないのではないのかなぁ。

そして、被害者を救済すべきなのは勿論にしても、根本的な原因、貧困と小児性愛者達(とマフィアなんだけど)をなんとかしないと、またどこかで同じことが起きてしまう。ペドファイルの中には、自分の性癖に非常に苦しんで、なんとか矯正(という言い方が正しいかどうか分からないが)しようと努力している人もいる。でも問題は、この映画のペドファイルのように、全く罪の意識がない人達だ。一体どうすれば?

そんなこと、今の自分に分かりっこ無い。なので、今はモーレツに参考文献(?)を収集しているところ。きっと自分は、この問題に晩年の多くの時間を費やすような気がするな。