「ノルウェイの森」

予告編を見た時は、うわっダメだこりゃと思ったけど、本編はそんなことなかった。

ワタシの中のワタナベ君像は勿論マツケン風ではなかったし、直子も菊地凛子じゃないし、緑もレイコさんも全然イメージが違うのだけれど、この映画を見るとこれはこれでアリかなと思えて来た。直子役の菊地凛子などは実年齢と随分隔たりがありそうだけど、声のキーを上げるなどの工夫と演技力で、充分それをカバーしていたように思う。やっぱり国際的な評価をもらうスターさんなんだな。

映像がとても綺麗だったけど、いかにもの象徴的な場面も多くて、それは昔見たベルイマンとかポランスキーなどの映画を思わせた。ちょっと観念的。予告編を見た時は、それが鼻についたのだったのかも。村上春樹の小説って全然観念的じゃないと思うし。ただ、映画と原作は別物と考えれば、特に気にならない。古くさい気はしたけど。

ノルウェイの森」とは青春期の混沌のことなのだろうし、その中で性の占める割合は確かに高いのだろうけれど、こうして今の時代に映画になってしまうと、性の捉え方やモラルが当時と今では違い過ぎていて、原作を知らない若い人が見たら「なんのこっちゃ?」になるんじゃないかと思った。映画化するならもっと早い時期にすべきだったんだろうな。まぁ、村上春樹のゴーがなかなか出なかったんだろうし、それも分かるけれど。

新鮮な驚きだったのは緑役の水原希子さんで、「嵐ちゃん」のVIPゲストで出た時に、そういやなんとなくこのモデルさん気になっていたんだよなぁ…と思っていたけど、それは単にルックスだけではなくて、この映画に出ることを何かの記事で読んだからだったんだろう。凛子さんとは正反対の、演技力というよりとにかく自然でさり気ないセリフと演技を心がけていたようだけど、それがとてもうまくいっていたと思う。緑役は本来、肉体的にももう少し強いイメージだったような気がするけれど、この希子さんでもアリだなと思わせられた。ただ、主人公が彼女にも惹かれていく道程があまり見えなくて、「愛しているよ」などというのがイマイチ唐突な気がした。もっとも、原作でもそうだったかも知れない。良く憶えていないけど。原作で確かめてみたいような気もするけれど、やはりそんな時間もエネルギーもない。あの時期を丁寧に振り返るには、私も歳を取り過ぎたということなのだろう。

松ケンについては、「ワタナベ君」のイメージ自体、どうしても作者自身とオーバーラップするところがあって、直子や緑のように元々頭の中でしか描いていないイメージなら一回裏切られるだけで済むけれど、更にもう一回リセットする必要があるという意味でも、一番難しい役どころだと思う。ワタナベ君は架空の人物だから置くとして、松ケンと春樹との違いは、やはり「知性」が表に出ているかどうかだと思う。松ケンはいかにも「感性派」に見える。でも、この映画には知的なイメージの主人公はそぐわない。観念的な表現を好むとはいえ、監督はあくまで感覚的な人のようだし。だからきっと、松ケンの起用は成功していたんだろう。って、ムリヤリな結論だな。とにかく、途方に暮れているワタナベ君の感じはよく出てた。

作者がこの映画を見て(まだ見てないかな?)どのような感想を抱いたのか知りたい気もするけど、どこかに書いて(あるいは喋って)いるかしら?