ファミリークラブを更新

しといた。といっても、昨年末で期限切れだったのだが、期限切れなのにこれまでの会員番号でマイページに入ることが出来、期限までに入金しろと言いながら、期限を過ぎて3ヶ月以内に振り込まないと資格がなくなるとか書いてあるので、ようわからん。分からんが、一応継続料金だけ送っておいた。一旦流してご新規さんになりすまそうかとも思ったが、3ヶ月が待ち切れないのである。

さとし君が、そんな18歳の頃の話を今頃持ち出すのも、なんかオカシイような気もして来たのだ。もしかしたらニナガワ舞台、あるのか?…ないか。スッポンのニナガワ(勝手に命名)のこと、「きだなんかの舞台やらないで、俺のに出ろよ」などと再び言い寄っていないとも限らない。

でね、昨日cogominさんとメールし合っていたのは、その光一くんのバックで踊ってたのは1999年頃らしいのだが(デビュー寸前か)、その年にニナガワはどんな作品を演出していたかwikiで調べたところ、

「1999年 Bunkamuraシアターコクーン芸術監督に就任。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの演出家として『リア王』を日本・英国で長期公演。
2000年 「蜷川イヤーズ」と題し、2年間で12本の作品(演出作9本、監修作3本)を彩の国さいたま芸術劇場で上演。」

とのことだった。もっと詳しく調べると、1999年 『リチャード三世』『かもめ』『リア王』(イギリス公演)『パンドラの鐘』。多分、これらの配役にさとしの需要はないと思われるので、2000年「蜷川イヤーズ」の中のいずれかの作品ではないかと。では「蜷川イヤーズ」にはどんな作品があったかというと、「近代能楽集ー『卒塔婆小町』『弱法師(藤原竜也高橋恵子)』」「夏の夜の夢」「唐版 滝の白糸」「三人姉妹」「グリークス」「NINAGAWA火の鳥」などらしい。

う〜ん、「火の鳥」か?それがどういう舞台だったかは全然分からないのだが、火の鳥となって踊るさとしが見たかった…と妄想が膨らむ。

ま、ニナガワじゃなくてもいいから、やりませんかね舞台(でも、きださんじゃなくて)。