お悔やみ欄の

喪主の名前を見て、あっと思った。喪主は長男さんなのだが、彼の名前は、故人の中で最も高い徳を示すものだった。私が彼に惹かれたキッカケは一瞬の直感だったけれど、その後も何度も惚れ直す機会があったからこそ、5年も片思いを続けて来られたのだ。

あれは中学二年の時だったろうか、音楽の授業中に男性教師が、ある生徒の授業態度に酷く立腹したことがあった。確かに不真面目な授業態度だったのだろうが、我々が特別気にかけるほど喧しいという感じではなかった。しかし、教師は「うるさいっ!」と叫び、その男子生徒の胸ぐらを掴んだかとおもうと、あろうことか持っていたハモニカで頭を殴打した。そればかりか、そのまま黒板の前まで引きずり、黒板の角にガンガンと頭を打ち付けたのである。

それは本当に突然の切れ方で、教師は元々神経質そうな人ではあったが、それまでそんな激しい感情を示したことはなく、あまりの剣幕に一瞬にして場が凍りついた。その後、教師が私たちに対して何か言ったのだったと思うが、よく憶えてはいない。ただ、私ばかりではなく、その場にいた生徒達は皆、大変なことになった、早く先生を止めなければ…と思っていたと思う。思ってはいたが、何か言おうものなら、その生徒まで同じような目に遭いそうな雰囲気だったのである。「誰か…誰か…」と心の中で叫びながら、何も出来ずにいた。

すると、はつこいの彼が、あれはどんな言い方だったろう、よく憶えてはいないが、とにかく「先生はおかしい。確かにA君はいけなかったかも知れないが、なにも殴ることはないだろう」というようなことを、まぁこう書いてみると至極当然な内容だけれど、あの場ではもの凄い勇気を振り絞らなければ言えないことを、またしても颯爽と言い放ったのである。教師はさすがに彼を殴ることはなかったが、まだ怒りは収まらない様子で、彼(と多分A君に?)に「職員室に来い」と告げ、教室を後にしたのだった。

それは彼の勇気をもっとも象徴するシーンだが、色んな場面で彼はリーダーシップや勇気を感じされてくれ、尊敬の念が強く湧いた。でも、息子さんに名付けるということは、「勇気」は彼の願いであって、元々備わった徳でもなんでもないことを逆に教えてくれた。

自宅から葬儀会場までの時間がよく分からなくて早めに家を出たので、一時間も前に会場に着きそうだった。いくらなんでも早過ぎるだろうと、近くで時間を潰し、そろそろ良いかと30分程前に会場の駐車場に来てみると、もう沢山の車で占領されていた。考えてみれば、教育・学校関係の人達、教え子さん達だけでも数百人来られているわけで、それに私のようなかつての同級生とかを含めると、駐車場がいくつも満杯になるわけだった。

ご遺族に礼をして会場に入るわけだが、初めてお目にかかる奥様は、やはり落ち着いた感じの方だった。驚いたのは次男さんで、若い頃の彼をちょっとスマートにした感じだがそっくりで、一瞬ドキッとした。

最近の通夜や葬儀では、故人の一生を物語る写真やビデオが流されているが、彼が指導した部活の大会での様子や生徒とのやり取りなどを眺めていると、やはり彼らしい一生だったことが確認できたような気がした。

弔辞が何人もの人によって読まれたが、それによれば死因はご病気で、最後は四ヶ月も入院していたという。そんなに長かったのなら、直接会ってお別れを言いたかったなぁという思いで、悔し涙が出た。

会場では、かつての同級生には全然会わなかった。あるいは、皆、変わり果てた姿になっていて、確認出来なかっただけかも知れないけれど。でも、彼は人望篤い人だったので、きっとその内に同窓生で「偲ぶ会」でも催されるのだろうと思う。その時まで、もうあまり面影は追わないことにします。

さようなら。私の幼い、輝いていた、でもほろ苦い思い出の中の貴方。バカだった私を許してください。そして、もっとバカになっている今のワタシの人生を、見ないでいて下さい。