テレビでの『硫黄島の手紙』

を録画していたのを今日途中まで見てたんだけど(HDが一杯で後半は録れてなかったから)、あらためてニノにあの配役を振った監督の眼力ってすごいなと思った。封切りで観た時はまだニノのことが良く分かっていなかったから(今だってそうかも知れないけれど)、あの役が彼にそんなに合ってるかどうかも分からなかった。でも今回観て、やっぱりニノが西郷役で、加瀬君が清水役で良かったんだなぁと思った。映画のプログラムを読むと、オーディションでは年齢が近いこともあって加瀬君が西郷役を指定されていたみたいだし、ニノも何かのインタビューで最初は西郷役だと思わなかったと言っていた。でも、クリントはニノを一目見て西郷役にピッタリだと思ったというのを、聞いた憶えがあるからね。

毎年、原爆記念日終戦記念日が近づくと、太平洋戦争に関連したテレビ番組が多くなるワケだけれども、戦争がいけないということなんて言われなくても分かっているからか、敢えてそういう番組は見ない人が多いようだ。まぁ、悲惨な話ばかりだからね。うちはそういう番組を毎年見るけれど、それは多分、親の世代が戦争体験者だからなのだろう。もしこれが祖父母の時代の話なら、もっと遠い話のように感じるだろうから、若い人が興味を持たないのも仕方ないのかも知れない。だけどニノが「戦争は残酷で何も残してくれない。残ってしまったものは消えない傷跡だけだと思う」と言ったように、今もなお傷跡の疼きを感じながら生きている人が大勢、多分身の周りにも何人もいることだけは忘れてはいけないんだと思う。たとえきっかけは「有名なクリント・イーストウッドと仕事をすればハクがつく」という安易なものだったとしても(笑)、結果的にニノの果たした役割は大きい。

昨日はリアルタイムでは『硫黄島』じゃなくてNHKの核についてのディスカッション番組を見ていたんだけれど、日本も核を持つべきだと考えている若い人が意外なくらい多いことにびっくりした。勿論それは、抑止力としての核保有ということだけれども、広島や長崎の人達がこれまで身を以て感じた事や訴えて来たこと、核実験の犠牲になった人達の実情を知らない筈はないのに、それらすべてないがしろにしてしまう妙に冷静で理論的なその考え方に、不気味なものを感じてしまった。まさかとは思うけれども、また、どこに行くのかニッポン…と不安になってしまう。

それと、その場にインドやパキスタンの人達がいるにも拘らず、失礼ながらと前置きしながらも、「インドやパキスタンのような小国が」とか「韓国(だったか北朝鮮だったか)のような小国が」と言った人達がいたことも気になったなぁ。経済力のことを言っていたんだろうけれど、いずれにしろ他国を小国呼ばわりするような感覚の日本人が結構いるんだなということを知って、もしかしたら大東亜戦争当時の日本人の感覚から全然進歩していないのでは?と思った。それも恐ろしいことだ。

で、突然国立コンの話になるが、まぁ昨日の電話も駄目だったのだけれども、飛行機の予約はそのままにしてあるので、この際上京していっそ靖国神社にでも行ってみようかな、などと思っているワタシなのである。靖国神社→野外ジャズフェス→嵐国立コン外周、というまことにアヤシいコースになるが…。