二日目は、大連から瀋陽(旧奉天)

まで四時間、特急の瀋大線(旧満鉄)に乗った。私たち一行は二階建ての車両で、昇降口はステップが低い上にスロープが掛けてあったが、普通の(一階だけの)車両の方は、私たち世代が子供の頃に乗っていた汽車のような大変高いステップで、プラットホームからステップまでの隙間も人の体がすっぽり入ってしまうほど幅広く開いていた。ふと、車椅子の人はどうするんだろう?と思ったが、そういえばここに来てから、体の不自由な人を一度も見かけていないことに気がついた。

私たちのガイドは元小学校の社会の先生らしく、色んなことを知っているようだったので、「街に障害者を見かけませんね。施設にいるのですか?」と訊くと、障害者や高齢者向けの施設もあるにはあるがごくわずかで、大抵の障害者は家から外に出ないというか、出してもらえない。つまり「働かざるもの喰うべからず」なのだと言う。第一、トイレはほとんど和式だから、車椅子の人は使えない。大連駅周辺は確かに近代的なビルが立ち並んでいるが、貧しい所はやはり日本より何十年も遅れている感じを受ける。日本並みに民主化、近代化されて初めて身障者のような社会的弱者に目を向ける「余裕」が出てくるということか。体が不自由なだけでも気が塞ぐのに、家の厄介者扱いで皆自宅にこもっているのかと思うと、自由に旅をしていることが少し申し訳なくなってくる。

私の席は、同じツアーの4名で固まった。軟座という言わばグリーン車だが、勿論日本のそれと違ってリクライニング機能があったりするワケではない。ただ、座面が少し軟らかく、座席と通路の間に磨りガラスがあり、やや個室感がある。私の向かい側には、リタイアしてから旅行三昧しておられる様子の60代のご夫婦。右隣は、たまたま休職中でご両親と一緒に旅行中の20代後半ぐらいの女性だ。ご夫婦の方は海外旅行もよくされているようだが、国内は主に車やフェリーで旅しておられるとのことで、この5月までは旦那さまの故郷だという沖縄に滞在しておられたとか。お話を伺っていると、車やフェリーでの旅も面白そうだ。港には大抵船員用の食堂兼宿屋があって、部屋が空いていれば船員以外の人も3〜4000円ぐらいで泊まれ、食事も海のそばだから新鮮な魚料理を1000円も出せば鱈腹食べられるのだという。私もリタイアしたら、そういう旅がしてみたいなと思った。

また以前、とても旅慣れた人に、「どこの国が一番面白かったですか?」と聞いたら「エジプト!」と答えておられたが、このご夫婦もそう言っておられた。ピラミッドを見ると、なんだか異次元な感じがするのだという。

しばらくすると、車内販売のお姉さん(中年女性)が、飲み物を持って来た。前に書いたが、ミネラルウォーターは3元だった。でも、向かいのご夫婦によれば、町中では1.5元で売っていたらしい。その後、アイスクリームも売りに来たので食べてみることにしたが、なんかふわふわしてて、メレンゲを冷やし固めたような感じ。まぁ甘いからそれなりに美味しいといえば美味しいのだが、もう一度買って食べたいと思うようなものではなかった。北海道で食べたラベンダーソフトの方がずっと美味しい。

終点の北瀋陽駅からバスに乗って、まずは昼食。中国なのになぜに韓国料理?と思うが、瀋陽には韓国の観光客が多く、韓国料理店も沢山あるのだという。石焼ビビンバをメインに、キムチなどの漬け物類が何種類か出たが、とても美味しかった。ここでのビールは、「雪花」という銘柄。やっぱり物足りない感あり。

瀋陽での観光の中心は、世界遺産である瀋陽故宮。1625年に建てられた、北京に移る前の清時代の前身(後金)の2人の皇帝ヌルハチホンタイジの皇居とのことだ。しかし、残念な事にワタシは、自分というか日本にあまり関係のない歴史建造物にはほとんど興味が無い。勿論、見ている時は、ナルホドここで第二夫人とネンゴロにしてたのねえ、とか、ここで舞台なんかをやっていたワケだな…などと、それなりに興味は湧くのだが、それをここで情熱的に語るほどにはナニも学習していない。残念だが仕方がない、次に行こう。

次は「民芸品店」でのショッピングだったが、ここがなんでも高価で、しかもシュミの悪いブランドものなんかも売っている。ここでも店員さんに貼り付かれて、陶製の小さな絵付きお猪口を5個だけ、姉達の土産にと買った。日本円にして一個500円ぐらい。例によって、これは高い買い物だった。なぜなら、翌日寄ったお茶屋さんで、同じ物が12個入りで2000円だったのだ!値切ることを忘れていた私は、ことごとくこのように、いいカモとなっていた。まぁ、いい。一個500円ぐらいの価値はある、綺麗な品だ(と、ムリヤリ自分を納得させる)。

夕食は、いよいよ餃子料理だった。「幻の大連」を読んで、こちらは水餃子が主なのだなと思っていたが、この店では蒸したものがほとんどだった。最初だけ焼き餃子で、あとは十数種類も蒸したか水餃子が出てきたのだが、正直、焼き餃子の方が美味しい。大体、中にナニが入っているか分からないし。同じテーブルの他の皆さんも、同じ感想だった。やっぱり、慣れというものかしら。

ここで隣り合わせた60代後半と思しき一人参加の男性が時々中国語で話しておられたのを耳にしていたので、てっきり中国人かと思っていたら語学がシュミらしく、ラジオやテレビで英語やドイツ語や中国語を学んでおられるのだとか。それがボケ防止になるのだと力説しておられた。

ホテルに戻る少し前に、繁華街で少しだけ自由時間があり、大連のホテルに荷物を預けたままだったので、男物の衣料品店でバーゲン品のTシャツを買ったり、デパートでDHCの化粧品を買ったりした。Tシャツは75元。DHCの方は口紅とリキッドファンデで、よく憶えていないが、まぁ日本で売っているのと同じぐらいの値段ではなかったかと思う。

ホテルは大連と同じように快適だったが、ここにはバスローブはなかったので、買ったTシャツを寝間着代わりにして寝た。ここで見たテレビのことは、また明日書こうと思う。