モンダイの三日目

朝は、昨日ホテルまで送ってくれた方が、またホテル近くの道の駅まで迎えに来てくださった。それから原ノ町駅で若い男性を一人乗せて集合場所へ。本当はもう一人来る予定だったようだが、雨のせいかキャンセルになったとのことだった。南相馬のボランティアセンターは、丁度翔くんが前の週にZEROで紹介していた所で、まだ沢山の人手を必要としていることを訴えていたが、そのせいか(まだまだやることが沢山あるという意味)、他のボラセンは雨天の時は中止になることが多いらしいけれど、「ここは槍でも降って来ない限り、中止にはならない」とのことだった。

前日、今日も来ると言っていた外人さん達は来ていなかった。他にもキャンセルの人が結構いたようだ。正直、私も少し迷いながらの参加だったのだけれど、朝迎えに来て頂くことになっていたし、まだそれほど強い降りではなかったので、ま、大丈夫じゃないかと。なにより、踏み抜き防止の重い長靴があるし、雨具も準備して来たのだし、使わなきゃあね、と。

この日は、津波の来た田圃に生い茂った草を刈るのがミッションだった。福島に入ってからというもの、昨年石巻東松島で見たように、そこここに津波で流され横転した車や壊されたままの家屋を目にしたが、田圃や畑には鬱蒼と草が生い茂っており、被害を半ば覆い隠している。一部には瓦礫が集められているのが見えるものの、震災後ずっと手つかずの状態の所がまだ沢山あり、ここだけ見捨てられた土地であることを感じずにはいられない。

午前中はそれでもシトシト程度の雨だった。今日もグループのリーダーが放射線量を計測しており、「一定の数値以上になった場合はブザーを鳴らして報せますので、直ぐに避難して下さい」と注意していた。原発が見えるわけではないけれど、南相馬の中ではかなり近いところのようだ。

作業開始となり、男性の多くは電動の草刈り機で広い範囲を刈って行く。女性陣の多くは、草刈り機の入りにくい、ブロック沿いや木の周囲の草を手鎌で刈って行く。途中、美味しそうな山葡萄が実をつけており、思わず食べてしまおうかと思ったが、勿論やめた。

雨はどんどん強くなり、小休憩を挟んで昼食になる頃には雨具を通して下着まで濡らすようになっていた。若い男性は裸になって肩にバスタオルを掛けて保温していた。こんな時、男はいいなと思う。雨は休憩時間中、ずっと土砂降り状態だった。正直、中止になるんじゃないかな、できればそうなって欲しいと思った。身体の冷えが半端なくなって、ガタガタ震えが来るほどだった。

しかし、少し雨脚が細くなった頃に休憩明けになり、作業を再開した。草刈り機で刈った草の一部が一時的に歩道に置かれていたが、雨で側溝に流れて行くため、それを引き上げて畑に戻す作業が加わった。これほどの雨になると思わなかった私は、最初長靴の中にズボンの裾を入れていたため、あっというまに雨靴の中に雨が溜まってしまい、途中何度も長靴を逆さにして雨を排出しなくてはならなかった。まったくアホである。

少しでも止まっていると寒いので、働きまくった。休憩時間は、歩いて5分ぐらいの所にある仮設トイレに行った。リーダー格の人達が話し合い、いつもより30分ほど時間を早め、15時半過ぎに作業を終了することになった。終了の挨拶の中でリーダーが、「今知りましたけど、大雨警報が発令されていたようです」と話し、何人かの笑い声が聞こえたが、笑えなかった。

同じグループで作業をしていた男性が、私と大学生の若者をホテルまで送ってくれた。もう泊まらないのだが、ホテルに温泉があり、宿泊しなくても利用できるのだ。温泉にでも入らないと寒くてとても夜行バスになんか乗れないと思った。

久し振りに熱い温泉に入って生き返り、重い荷物は宅配便で自宅に送ってから、原ノ町駅からまたJRと代行バスを乗り換えて仙台に向かった。